川の向こう側へ
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☆3/12更新☆
第18回

 第1診察室のドアーを開けると、何故か、診察のときの安定した気分は消え、知らない町に迷い込んだような情感が僕を捉えた。

廊下には、愛する者を永劫失ってしまったときのような喪失感が高原を覆う靄のように漂っていた。

 誰も僕など待ってはいなかった。

 診察室の中から聞こえてきていた友人の声は僕が勝手に創り出した幻想のようであった。

僕は歩き方を忘れてしまったかのように、一歩も踏み出せず、第1診察室のドアーの前で、朽ちて倒れる一歩手前の木々のように、絶望的に立ち尽くすことしかできなかった。

 住み慣れたアパートに間違いなく繋がっていると思えた病院の廊下は、負けてはならないと自己の精神を煽動しながら何度も歩いた病院の廊下は、どこにも繋がらず、世界の終わりへと導くメインストリートのように思えた。

僕は、そのストリートを全力で走り抜け、突き当たりの灰色の壁に身体ごとぶつけてしまいたい衝動に駆られた。

 あるいは、最後の自己主張の揺るぎない手段として、窓を叩き割り、身体をひるがえして地面の上に叩きつけてしまいたい想いが、血管全体に奔流した。

 僕は、そのどちらかの選択を何者かに促されていた。

 誰かが背中を強く押した。僕はよろけるように、一歩足を踏み出した。後ろを振り返ったが誰もいなかった。 一瞬にして何かが起こり、この世界には僕しかいなくなったかのような戦慄的な感覚が心の芯を突き抜けた。  そんなときだった、(どんなに重く厳しくても、神に与えられた十字架は捨てずに、死ぬまで背負い続けるのが人の道であり、人の使命である)という何かの本で読んで知っていたアフォリズムが、どこからともなく鮮明に聞こえてきた。

 僕は眼を瞑り、固く唇を噛みしめた。

突然、何の前ぶりもなく、

一切の必然性もなく、

どうしてなのか説明しようがないことだが、僕の記憶の果て、そのずっと向こうの世界の孤絶した家の一隅で、男女二人に抱かれている赤ん坊が見えた。

僕は精神を集中し、神経を研ぎ澄ませながら、その情景を見つめ直した。

それは間違いなく、若い日の父と母の顔であった……二人の抱きしめたくなるような笑顔が夏の激しい陽光のように赤ん坊に注がれていた。

彼らの腕の中で、何の不安も心配もすることなく寝入っているのは僕自身の25年前の姿のようであった。

身体が小刻みに震えだした。眼が湿ってくるのが感じられた。

存在しているもの全てをなぎ倒す突風が吹き、僕の周りの靄を彼方へと追いやり、一瞬のうち、孤絶した家の一隅で寝入っている赤ん坊の所へと続く一本道が開けてきた。僕は理由もなく、その場所へ向かおうとしたが身体が動かなかった。父と母は、こっちへは来るなと言っているようであったが。

「田島さん。田島さん、しっかりしてください」寺岡よしえの声だった。「どうしたんです、気分が悪いんですか?」廊下に臥していた僕を抱きかかえるようにして、彼女は僕の顔を覗き込んだ……。



■筆者紹介

シマダ ジュン:

 同志社大学英文科卒。90年詩集「ルナーティクな気分に囚われて」(文理閣発行)出版。93年写真・詩雑誌「KUZU」創刊。98年写真展「岩倉の心的風景」を開催。その他、映画・音楽関係の企画プロデュース活動を不定期に展開。94年、俳句で山頭火賞の一編に選ばれる。
 
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