川の向こう側へ
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☆2/6更新☆
第13回

 つまずいた石は踏み石にもなると、以前何かの本で読んで、その言葉を僕は忘れることなく覚えていた。

どんな種類の挫折であれ、それは新しい飛躍の契機となる可能性を持ったものであることを意味しているというように、僕は理解していたが、今回の精神病院への入院が果たしてそれであったのであろうか?

 僕は、いつもと同じように、新鮮みのない朝食を事務的に済ませた。

 その後、中庭でタバコを喫い、その庭の北側に張り巡らされた金網のフェンス越しに続く竹林の遠くで、厳とした佇まいを見せている深い緑の山の稜線をぼんやりと眺めていた。 竹林は微かな風に煽られて、楽しく遊んでいるかのように笹を擦れ合っていた。

 中庭では僕と同じようにタバコを喫い、誰にでも公平に優しく注ぐ朝の日差しを浴びながら、パジャマからそれぞれのカジュアルな服装に着替えた男女5〜6人がベンチで談笑していた。

 時々、コンクリートの上を弾むボールのような小気味の良い笑い声が僕の耳に届いた。

 入院して初めて知った事だったが、精神病院の日常の風景は僕が想像していたよりもずっと、緩やかで穏やかであった。

 常識を逸脱し、理解に苦しむ行動とかを取ったり、意味不明な言葉を発する者など誰一人としていなかったし、そこにいる多くの人の表情と態度も極めて静かで普通に感じられた。むしろ、そのおとなしさと従順さが奇妙に感じられた。

 「あのう、タバコを一本もらえませんか?」

 突然、パジャマに緑の薄い生地のセーターを着た30才半ばに見える男が僕に話しかけてきた。

「いいですけど、自分のはどうしたんですか?」

「いや、生活費が少なくてね、あまりタバコを喫えないんです。だけど、我慢できなくて……」

 僕は、「ハイライトでよければ」と言い、タバコを二本、その男に渡した。

 男は、「どうもありがとう。今度必ず返すから」と言い、僕が座っていたベンチから少し恐縮した表情をしながら離れていった。

 精神病院に入院している人たちの生活費はどうなっているのだろうか。社会福祉の諸制度について、僕は全く無知であった。

 精神疾患の症状、生活の困窮度合いの状況に応じて、国とか市とかからお金がいくらか支給されるのであろうが、その金額がどのくらいのものかまるっきり想像が出来なかった。

 僕にタバコをくれと言った男は、一ヶ月の生活費は一体どれくらいなのであろうか。

タバコも節約するぐらいだから、かなり困っていることは容易に想像できたが、その男の生活のリアルなイメージが、僕の心に整然とした形で湧いてこなかった。そんなことをぼんやりと考えているとき、中庭の南の渡り廊下の方から、僕を呼ぶ声がした。

「田島さん。おかげんはどうですか。」

 僕の担当看護婦の寺岡よしえであった。

「ええ、体に力が入らなくて、なんか変な感じです」

「ああ、そうなんですか。見た感じ、田島さん、だいぶん落ち着いてきたように見えますけどね。まあ、病院外の色々なことは忘れて、気持ちをおおらかに、のんびりとしてくださいね」

「うん、何もすることがないから、のんびりするしかほかに方法がないけどね」 「まあ、そうですね」と言い、寺岡よしえは、とても親しい友達のような笑顔を見せながら、「田島さん。午後に先生の診察がありますから、散歩とかは午前中だけにしてくださいね。その時は、呼びに行きますから」と言葉をつなげた。

「ええ」と、僕も友人に投げかけるような笑顔で答えた。

 病院に何人の看護婦がいたのか知らない。一階と三階の開放病棟、二階の閉鎖病棟それぞれ、階ごとに仕事のエリアは分かれていて、その中でも、何人かの患者をグループ化し、一人の看護婦が担当するというシステムになっていたようだった。

 僕の部屋のある三階に勤務している看護婦は総じて、年令は若かった。中には、学生のような人もいたが、准看護婦で、夜は学校に通っているようだった。

 僕たちのグループ(グループといっても、便宜的に編成されてているだけで、グループで何か共通の行動をするというわけでもなかったし、誰と同じグループなのかも知らなかった)の担当が寺岡よしえであった。

 年令は30才前後であった。

 髪はセミロングでブラウンにマニキュアされ、後ろで綺麗に束ねられていた。眼には嫌みのない程度に薄いブルーのアイシャドウを入れ、二重であった。唇は淡いピンクの口紅で彩られていた。

 口紅と同じような淡いピンクの制服に紺のニットのカーディガンをいつも着ていた。

 美人というわけではなかったが、看護婦の中では一番目立っていた。

「田島さんですね。私、あなたの担当の寺岡と言います。なにか困ったことなどあったら、遠慮せずに何でも言ってくださいね。今、なにか私が聞いておくことはありますか?」

「ええ、さっきタバコを買いに行こうとしたら、一階のドアーが閉まっていて、行けなかったんですけど、タバコが切れそうで……」

「そうねぇ、ここは開放病棟と言っても、外出も4時半までなんですよ。だから、規則をみんなに守ってもらうため、一階のドアーは4時半に閉めるんです。タバコは我慢できませんか?」

「ええ、ヘビースモーカーだから、とても……」

寺岡よしえは嫌な顔ひとつせず、「えーわかったわ。今は時間がとれないけど、しばらくしたら、買ってきます。タバコの銘柄はなに?」と僕に聞いてきた。

「ハイライト」

「ほかには、なにかありませんか?」

「何でもいいんですか?」

「はい。入院生活をしていく上で、なにか聞きたいことがあればね。」

「ここの病院の周辺の地図とかはありませんか?」

「地図とかはないけど、そうねぇ、喫茶店とかスーパーとかを書き入れた地図を私が作って、後で持ってくるから、それでいいかしら?」

「ええ、それで結構です」

「じゃあ、なにかあったら、また言ってくださいね」

 それが、初めての会話であったが、何の差別もなく、当たり前の人間として僕に接する態度に好感を持たざるを得なかった。

 勿論、彼女は病人に対して、当たり前のことを看護の仕事としてこなしているに過ぎなかったのであろうが、僕の不安を少し取り除く効果を持つ態度であった。彼女が普通に接してくれるおかげで、僕は随分、心が安らいだ。

 それは、病気に対する哀れみでもなく、同情というものでもなく、僕の心情と見事に重なり合い、心地の良いハーモニーをもたらす微妙な態度であった。



 入院患者の間では、あまり自分の病名についてお互い話をするようなことはなかった。医者から知らされていなかったのかも知れないが、病名が解ったからといって、自分の精神の状態が良くなるわけではないとみんな達観していたのかも知れない。

 でも、僕は自分の精神疾患について、精神の異常な状態について彼らとは反対に、大いに関心を持っていた。医師がどう判断しているのかが気がかりであった。

 昼の食事を済ませた後、僕は部屋で仰向けになり、天井の一点を、特別に何かを考えるということもなくただ見つめていた。

 30分も見つめていたら、天井が何か僕に話しかけてくるような気がしたが、それは天井にもう一人の僕を投影させて、内省的で何の結論もない思考の遊技をしていたためだった。

「田島さん、一時半から先生の診察がありますので、三階の第一診察室に来てください」寺岡よしえが病室に入ってきて、寝ている僕に近づきそう言った。

腕時計で時間を確かめたら、一時20分であった。一時間、天井と対話していたみたいだった。

「あの、診察ってどんなものなんですか?」

「まあ、何の心配もいりませんよ。先生といろんな話をするだけですから」

「寺岡さんも一緒なんですか?」

「いいえ、先生とふたりっきりです。」

「何という先生なんですか?」

「藤木先生、ここの病院の院長です」

 僕が保護室に入れられていたとき、鉄扉を開け入ってきた人のことを何気なく思い出した。僕の主治医は僕の病気についてどう判断するのだろうか……間違いなく、正確に診断をくだすのであろうかなどという想いが去来し、心のなかに微妙に波紋が広がるのを感じた。



■筆者紹介

シマダ ジュン:

 同志社大学英文科卒。90年詩集「ルナーティクな気分に囚われて」(文理閣発行)出版。93年写真・詩雑誌「KUZU」創刊。98年写真展「岩倉の心的風景」を開催。その他、映画・音楽関係の企画プロデュース活動を不定期に展開。94年、俳句で山頭火賞の一編に選ばれる。
 
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