僕が初めて、精神病院に入院したのは11年前の桜が散り始めた頃であった。それから何か変わったのであろうか。
人間としての僕の本質性は果たして変わったのであろうか。
確かに入院は劇的な展開であったことは間違いないことだが、僕は僕である。その単純な真理は春を迎えた雪国の景色のように変わるものではなかった。僕は僕としてこれまで生きてきたし、これからも僕として生きて行かねばならない事実は、瞬間的な美しさを示しすぐに消滅するシャボン玉のように消え去ったのではなく、眼前に、冬を越すため寒さに厳として耐える木の葉のようにしっかりと残っていた。
僕は僕としてしか生きようがないのである。
(でも何かが変わってしまったんだ……)
11年間の時間の経過のなかでさえ、その何かは僕の心の中で固まりのようになって、溶解せずに僕の内側からその存在感を激しく表し続けていた。
僕はその固まりのようなものと、時には無謀な闘いを挑んで絶望感を味わったり、騙したりすかしたりして、何とか上手い折り合いをつけようとして、いつも失敗したりしていた。
絶望感とその失敗の果てには、まるで第二の家のように精神病院での生活が待っていた。何か、ようやく登った山から転げ落ちるような感覚を何度も味わざるを得なかった。
僕が二度目に「ミスティ」で飯島純子と会ったのは初めて会った日から10日ほど経った、日曜日の午後であった。
その日は風が強く、店から見える木々もそよぐというより踊っているようであった。木々の舞いはとてもリズミカルで軽やかであった。
古いブルースが流れるなか、僕はジェイムズ・ジョイスの「ダブリンの市民」をその難解性に少々手こずりながら、ゆっくりとしたぺースで読んでいた。
一時間ぐらい経ったとき、月日とともに渋めの茶色になっている「ミスティ」の木のドアーがゆっくりと開き、店の中に少し強めの風が入ってきた。
僕は読んでいた本を置き、入り口のドアーの方を見た。飯島純子であった。
初めて会ったときはジーンズ姿であったが、その日はブルーのチェックのワイシャツと赤いカーディガンに、濃いめの体に綺麗にフィットしたタイトなブルーのミニスカート姿だった。肩にはつや消しされたナイロンの黒いバッグをかけていた。
彼女は僕の横に座ると同時に、「こんにちわ」と言った。
「ああ、こんにちわ」と、僕は少し緊張して応えた。
彼女はこの前と同じようにジンジャーエルを注文した。
僕はその時何となく、彼女の僕への質問のことを考えていたが、この十日間、別にそのことを集中して考えてきたわけではなかった。
仕事のやりがいとか、仕事の価値とかについて、僕は人に披瀝する見識などというものは持ち合わせてはいなかった。
仕事の論理は極めて単純で、“食べるためには働かなくてはならない”というもので、ライターという仕事についても、ことさらやりがいというものを感じているわけではなかった。
それは、僕が精神障害者であるということとも関係していたかも知れない。
僕は多くを望んではいけないと自分自身に言い聞かせるのが生活の基調になっていたし、生きられているだけで満足しなければならないという非情な諦観が心を支配し続けていた。
だから、どういうことを言えばいいか考えあぐねていた。彼女へ伝える言葉など心のどこにも浮かんでこなかったのである。
「お仕事は忙しいですか?」と彼女はさりげなく言ってきた。
「マイペースだから、別に忙しいと言うわけでもないけど……」
「日曜日はお仕事は休みなんですか?」
「うん、週一回は休みを取るようにしているからね」
「私、この前ジャズのライブに行って来たんです」
「へー、どういうバンドなの?」
「サザンクロス・ファイブというバンドです。とても素敵でした」
予想していた展開と違って、ジャズの話になるような気配がした。この前の僕への質問はどうなったのだろうかと不思議に思ったが、僕の方からは切り出さなかった。
「それはそうと、この前の話しですけど、就職にはどんな考えを持っていたらいいんでしょうか。別にそんなに急ぐ話しでもないんですけど……」
本論が始まりそうであった。彼女がこの前聞いてきたことは仕事のやりがい、選択の基準だった。そういうことを考えなくなって久しかったが、僕が初めて勤めた大型チェーンの書店のことを思いだし、なんとか彼女の質問に応えようとしていた。
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