川の向こう側へ
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☆12/12更新☆
第7回

 病院で初めて食べる朝食は、味気ないもののように思えた。

干しぶどうの入った食パン二枚に5グラムのマーガリン、そして冷たい牛乳。それに6分の1切れぐらいのリンゴがついているというメニュー表が廊下の掲示板に貼ってあった。

 味気ないといっても、病院だから当たり前のことであろう。

その掲示板のメニュー表には一週間の献立が書かれてあり、あらかじめどんな料理かが解るようになっていた。昼と夜は栄養価を配慮した、結構バラエティに富んだメニューだったが、あまりおいしいものとは感じられなかった。

 食堂は中庭(それは結構広く、様々な植物が植えてあり、色とりどりの春の花が咲き、ベンチも置いてあった)の横を通り15メートルほど行ったところにあった。

 簡素なテーブルとパイプ椅子が整然と置いてあり、70人ぐらい座れる広さであった。小さなスピーカーからはクラシック音楽が流れていた。そこで二交代で全員そろって朝食をとるようになっていた。

 僕は、サングラスの男、上田(彼は食事の時もサングラスをはずさなかった)と一緒に三階から一階に降りて、その食堂ホールに向かったのだが、何となく、所在なくうつむき加減で、ぞろぞろと何も喋ることもなく歩く集団は少し異様に見えたが、僕がそういう光景を見慣れていないせいもあったであろう。


「田島さん、バナナ食べるか?」

 上田浩二はそう言って、ジャケットのポケットからバナナを出し、そのうちの一本を僕の前にそっと置いた。

良く熟れておいしそうなバナナだった。

「え、どうしたんですか」 

「ここの朝飯だけでは腹が減るからなぁ……」

「僕が頂いてもいいんですか?」

「ああ、この前近くのスーパーのイシダヤで買ってきてたんだ。セールで安かったんだ。今、丁度食べ頃だから。食べよう、食べよう……」

 上田はおいしそうに食べ始めた。

僕がそのバナナに手を伸ばそうとしたとき、何となく人の視線を感じた。

その視線を感じながら横を向くと、二十歳前後だと思われる良く太った女性と眼があった。

 僕はバナナを持ち上げて、瞬間的に深い思慮をすることもなく彼女に「食べますか?」と聞いた。

 彼女は僕の言葉を聞くと、恥ずかしそうに眼をそらし、黙ったまま急に、食パンにマーガリンをゆっくりと塗り始めた。

「食べないんですか?」

 僕は聞き直したが、彼女からは何の反応もなかった。

「いいんだよ。あんたが食べれば」と、向かいに座っていた上田浩二がもどかしそうに言った。

「ええ、そうですね……」

 僕は、必要のないちょっとした後ろめたさを感じながらバナナをゆっくりと食べた。

 その後、急に思いついたように、未だ手を付けていないカットされたリンゴを隣の良く太った女性の皿の上に置いた。そして、言った。

「どうぞ、遠慮せずに食べて下さい」

 その人は、おもむき僕の方を見て、注意しなければ聞こえないぐらいの声で呟くように言って少し頭を下げた。

「ありがとう」

 彼女の顔には、何の隠し事もしない無邪気な子供のような表情が見て取れた。

 恥ずかしそうに笑っていた。

「いいえ」

 僕は何でもないことのようだが、彼女の小さな「ありがとう」の声を聞いたとき、表現できないようなうれしさが心にこみ上げてくるのを感じた。おそらく彼女も用意された朝食だけでは、若いだけに腹が減るのだろう、きっとバナナも欲しかったに違いない。でも、言い出せなかったのだと僕は思った。

 取るに足りない親切、余計なお世話だったかも知れないが、ひょっとしたら僕は彼女ととても深いコミュニケーションをとれたのではという気がした。

「先に行くよ」と上田が元気良く言った。

 僕は黙ったまま軽く頭を下げた。

 その時、隣の太った女性が「あのう……」と言いながら、グレーのゆったりとしたパンツのポケットからキャンディを取り出し、「良かったら、コレ…食べて下さい」と、おもいっきり勇気を振りしぼって言ったかのような趣きで、僕の目の前に手を差し出した。

 一瞬、僕はその対応にとまどったが、思い切りよく「ありがとう」と、彼女の心の内を想いながら心の底からお礼を言って、彼女の手のひらからキャンディを丁寧に3個取った。

 彼女は満足そうな笑顔で今度はしっかりと僕の顔を見ていた。

僕はもう一度、彼女の目を見ながら「ありがとう」と言って静かに席を立った。



■筆者紹介

シマダ ジュン:

 同志社大学英文科卒。90年詩集「ルナーティクな気分に囚われて」(文理閣発行)出版。93年写真・詩雑誌「KUZU」創刊。98年写真展「岩倉の心的風景」を開催。その他、映画・音楽関係の企画プロデュース活動を不定期に展開。94年、俳句で山頭火賞の一編に選ばれる。
 
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