川の向こう側へ
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☆11/21更新☆
第4回

 僕は、精神病院というところに特別の偏見があったわけではなかったが、自分が入ったという事実を前にして、改めて精神の異常と正常との間の不鮮明な世界、又は、その境界線そのものについて真剣に考えざるを得なかった。

 精神の正常とは何か。それはどういうメカニズムによって保たれているのか。そして、何が破壊されることによって精神の異常が生じるのかについてである。 その二つの世界を峻別するものは何か。

 人は普通、精神病患者に対して奇異な感覚で接する。

いや違った生物体として認識し、接することを忌避するというのが正確なのかもしれない。そして、何を考えているのか解らない、何をしでかすか解らないという理由で差別したりする。時々(本当に、希なことであるのだが)、新聞紙上に全ての精神病患者があたかもそうするのが当然であるかの認識を与える犯罪報道がされる(しかも、、刃物沙汰がその大半である)。

 でも、精神病とは一体何であろうか?なぜその疾病に陥るのか。原因は何か。

そして、精神障害者とは何者なのであろうか?

 僕が彼らの一員となり、人々から奇異な眼で見られ、差別される可能性のある存在となったことで、僕はそんなことを考える環境が、意識するしないにかかわらず、強制的に与えられたというわけだった。





 病院の朝が来ても、一斉に入院患者が起きてくるわけではなかった。それぞれ自分に適した生活時間を持っているようだった。

僕は、部屋の7人の中では一番の早起きであった。腕時計をみたら6時30分を示していた。

僕はパジャマのまま、洗面のために部屋を出た。廊下の窓からはうっすらと光が射していた。

 洗面所は三階の病棟(そこには10部屋あり、一部屋に5人から7人の人たちがいた)の二カ所にあり、一つはとても広いディルームの奥のナースステーションの横と、もう一つが女子病棟の真ん中辺りにあった。

それぞれの洗面所には、名前は解らなかったが美しい花が無造作に生けてあった。

 ディルームは入院患者の作業療法が行われる場所であるとともに、患者たちが空いている時間を過ごすための「公用空間」で、いわばみんなのリビングルームである。32インチのテレビが設置されていたり、麻雀卓があったり、卓球台もあった。隅に置かれていた立派な本棚の中には世界文学全集など結構難しい本も並べてあったりした。

 僕は、まだ誰もいないディールームの前を横切って20メートルほど先にあった女子病棟の方の洗面所に向かった。

ナースステーションでは三人の夜勤の看護婦が忙しそうに働いている姿が見えた。

少しの間立ち止まり、彼女らに「おはようございます」と、軽く挨拶し、静かに前を通り過ぎた。何か、彼女らと話ししたかったのだが、何を話せばよいのか整理がつかず、何も言えなかった。

 洗面所には、すでに3.4人の女の人がいてそれぞれ鏡に向かって髪を直していた。僕は少し気後れして、どうしてもその間に入っていくことが出来ず、呆然と彼女らの横に立ちつくしていた。

「あなた初めてみる顔ね。新しく入院してきたの?」

とてもセンスのいいグリーンのタータンチェックのパジャマを着た、僕と年令が同じぐらいの女性が低い落ちついた声で話しかけてきた。髪は無雑作なショートカットだが、よく似合っていた。とてもおしゃれに見えた。眼が切れ長で魅惑的であった。

「ええ、よろしくお願いします」

「名前はなんていうの?」

「名前ですか?うーん、ユウちゃんとでも呼んで下さい」

「ユウちゃんね、あたし、樋上通子。よろしくね」

 僕は樋上通子に擦り寄るようにして近ずき、彼女が使っていた水道の前に陣取って蛇口をひねった。彼女のシャンプーの香りが微かに匂って心地よかった。

普段よりもゆっくりと顔を洗い、時間をかけて歯を磨き髭を剃った。病院では刃物は禁じられており、電気カミソリを使うことしかできなかった。

 カミソリ以外は普段となんら違うことのない生活の始まりだった。

(そうだ、何も心配することなんかないんだ。精神病院だといっても、別に、変わった事なんてないんだ。いつも通りでいいんだ……)僕は心の中でそう思った。

しかし、いつまで僕はここに入院しなければならないのかという疑問と不安の激しい洪水からは離れられず、ささやかな希望さえ見いだすことは出来なかった。僕は正体不明な絶望感のようなものと闘わなければならなかった。

 洗顔を済まし、僕の部屋に戻ったら全員が起きていた。

ほとんどの人が僕のことなど眼中にないという感じで、めいめい乱れた布団を直したり、軽い体操をしたり、ラジカセで音楽を聴いていたりしていた。

それは、普通の病院よりもむしろ健康的で、家庭のごくありふれた風景のようであった.ただ、みんな無口で何か思いつめたような表情が少しだけ気になった。

 同室のみんなに挨拶をしたかったが、どういう挨拶をしたらよいか解らず、彼らに僕から口を聞くことは出来なかった。 僕が一番最初に口を聞いたサングラスの男はピーナッツを食べていた。僕は彼に近づいて行き、ゆっくりとした口調で聞いた。

「あの、朝ごはんは何時からでしょうか?」

「検温が済んでから。八時半ごろだよ。いっしょに食べに行こう」

「うん、ありがとう」

 別に礼を言うほどのことではなかったが、病院での事情がなにも解らない僕にとって、このサングラスの男の態度に心強いものを感じ、心から嬉しく感じた。僕はこの病院での過ごし方について誰からもレクチャーを受けていなかったので解らないことが沢山あり、少々不安であったからである。

「あの、お名前はなんというのですか?さしつかいなければ、教えてもらいませんか」

「そういう場合は、自分の方からいうもんだよ」サングラスの男は僕を諌めるように言った。

「あーすみません。田島祐一といいます」

「田島さんね、俺は上田浩二っていうんだ。まあ、よろしく」と、片手を差し出しながら言った。

僕は彼の手を握り、上田の言葉のイントネーションと態度に何とも言えぬ暖かみを覚えながら、軽く会釈した。ごく普通に見えるけど、彼はどこが悪いのだろうか、と思った。

 その内に、看護婦による検温も済み、廊下の方が騒がしくなった。その騒がしい音につられるように、僕も廊下に出ていった。

部屋から出てきたみんなは、誰一人として話さず廊下の左側の壁にもたれかかるような感じで等しい間隔をおき一列に並んでいた。

一体、なにが始まるのかすぐには解らなかった。部屋に戻り、サングラスの男、上田浩二(彼は、いつもサングラスをかけている)に聞いてみた。

「上田さん。何でみんな、廊下に並んでいるんですか?」

「朝ごはんが始まるんだよ。さあ、一緒に並ぼうか」と言って、上田は自然な感じで僕の肩に手を置いた。

 初めて経験する精神病院での朝が確実に始まっていた。それに何の違和感も持たず、難なく同化出来ていく心のありようが不思議に思えた。

25才にして、初めて経験する朝が僕の意志とは別に誰かが仕掛けているかのように始まっていった。

 僕は清風第二病院で、二三日前の出来事をゆっくりと記憶を辿り、何があったのかを思い出そうとした。果たして、僕は狂ってしまったのか。その疑問は疑問のまま僕の心に塞ぎようのない空洞をつくった。



■筆者紹介

シマダ ジュン:

 同志社大学英文科卒。90年詩集「ルナーティクな気分に囚われて」(文理閣発行)出版。93年写真・詩雑誌「KUZU」創刊。98年写真展「岩倉の心的風景」を開催。その他、映画・音楽関係の企画プロデュース活動を不定期に展開。94年、俳句で山頭火賞の一編に選ばれる。
 
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