川の向こう側へ
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☆11/7更新☆
第2回

 僕は彼女といっしよにいると、いつも正体不明の不安に駆られる。彼女の人間としての全体像をしっかりと把握出来ないため、彼女とどう関わっていいのか解らないからである。でも、僕は彼女とのその不安定関係ともいえる状態を好ましく考えてもいた。普通の恋人同士と違って、関係が一定しないためにか、どんな場合でも、二人の先が何んにも見えないという緊張関係があるとともに、二人の関係がすぐにでも破局する可能性が常にあったため、マンネリに陥らず、崖っぷちを歩くようなスリリングな感覚を保つことが出来たからである。それに、僕は彼女との関係を維持するために、人間として大きく成長することが要求され、彼女にはいつも新しい自分を演出する必要性があった。そうでなければ、彼女が満足しなかったからである。僕は、彼女の存在そのものよりも、そういった二人の緊張関係によって生じるゲームのような関係を愛していただけかもしれない。彼女の性格を簡単には理解出来なかったためであろうか、二人の会話の時など彼女が僕に何を期待しているか解らず、どういう対応をとっていいのか解らないときがよくあった。僕は脚本を知らない役者のように、その場にそぐわないアドリブで恋人役を演ずることが日常のありふれた光景であった。突然、僕に「幸福論」を聞いてくること自体でもそうだ、彼女が何かに悩んで、一つの回答を得るために、僕に聞いてきたとはとても思えないのである。彼女は、いつも何かの選択をしなければならないときは、今まですべて自分で決めてきたし、判断をしかねて、僕に相談を求めてきたことなど一度だってなかったからである。だから、僕は、彼女のその行動の真意を計りかねていた。

「私最近良く想うの。人間なんであくせくして生きていくのかって。学生時代は良かったわ。自分の行動についてそんなに真剣に考えなくても許されたし、何でも自分の好きなことさえやっていれば、それで生きているという形になった……でもね、この頃わたし、何のために生きているのかなぁって考えるの。世界のあっちこっちで戦争やってるし、食べるものがないため餓死していく子どもは信じられないほどの数だし、日本だって、不況だリストラだって大変だし。私の仕事なんてそのことと何んにも関係ないとこで成立しているんだから、何か空しいの。私の命に果たして人間としてどれだけの価値があるのかなぁって。ねえ、ユウちゃんどう思う?」いつしか微笑みが消え、子供のような純真さが彼女の顔に現れていた。

 僕は、突然夕立にでもあったようにうろたえた。そんな質問によどみなく、さらさらと気の利いた回答が用意出来るほど、僕は、人生の達人ではなかった。僕は、36年間生きてきた中で、疑問形で生きるというスタイルに、誰も寄せつける余地がないほど確固としたものではなかったが、ささやかな別れを告げていた。そのために、それが自分の運命だと自覚してコーヒーにとけ込むミルクのように、身の回りに起きる色々な出来事に対して、可能な限り抵抗せずに、とけ込む事を信条とする生活をしてきた。「果たしてこれでよいのか?」という疑問形の思考は放棄していた。だから、「人間の価値」などについて答える資格はなかった。それは、明快なものなんかではなく、いくつものの答えが疑問形で存在しているのだから……。

「何でそんなこと気になるんだい。空しかろうがなんだろうが命がある限り、人は生きていくのが普通じゃないか。それに、純ちゃんの人生って順調なんじゃない。自分の思い通りに生きているじゃないか。」

「うーん、別に悩みっていうわけじゃないけど、私の生活、なんだか足りないの。働きだしてからあまり時間も経っていないので、良く解らないけど、何か足りないの……仕事とか職場の先輩達に不満があるという訳じゃないけど、このままでいいのかなぁって思うの。仕事をし始めた頃は、色々なことを覚えるのに必死だったから感じなかったけど、遺跡を掘っていても、どれだけ人間の幸福とか社会の進歩とかに関わっているのかということをときどき考えるの。そしたら、私こんなことをしていていいのかなぁって……」

 自分の生きる価値について、夜が明ければ朝が来るように自明のものとして説明できる人がどれだけいるであろうか。古来、多くの哲学者、文学者がそのことについて語ってきたし、現代においても、本屋にでも行けば、頭がクラクラしてくるほどいろんなタイトルでその種の本が棚に並んでいる。どの本をとっても、私は答えを持っていると自信いっぱいだ。僕は、それらの本を読んでも、その世界には馴染めなかった。感性に深く突き刺さってくる本には出合ったことがなかった。でも彼女の問いには、答えなければという切実な感情が何故か僕を捉えた。そんなとき、彼女の表情には見たことのない翳りが見え始め、しきりに何かを訴えかけているような唇が、プレイヤーのアームのようにゆっくりと僕の顔に近づいてきた。



■筆者紹介

シマダ ジュン:

 同志社大学英文科卒。90年詩集「ルナーティクな気分に囚われて」(文理閣発行)出版。93年写真・詩雑誌「KUZU」創刊。98年写真展「岩倉の心的風景」を開催。その他、映画・音楽関係の企画プロデュース活動を不定期に展開。94年、俳句で山頭火賞の一編に選ばれる。
 
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