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その日の朝刊は、店主分含め何とか配ったが、体力以上に精神的に持たなかった。
販売店の主は青年だった。他の学生たちにも「夕刊配達止めよう。本社に任そう」。
3時半夕刊が降りた。すぐ店の鍵とカーテンを閉めた。部数少ないと言え、600部くらいの夕刊。夕方6時くらいから「夕刊来ない」とのTELが鳴り出して止まらない。受話器を外した。夜8時くらいまでこの状態が続いた。そして、大阪から読売新聞販売局担当が飛んできた。
「『押し紙』ばかりするから店が潰れた。誰が店潰した。何で店主が夜逃げしたんか?!」
「読者あっても新聞だ。配れ」「何で、俺らだけが責任負うんか。本社メンバーが配れ」と、「配れ」「配らぬ」の押し問答。この夜、青年は初めて「読売」という大会社に反抗した。
結局、店の管理運営、学生の待遇改善を新聞社責任で行うことで、明日の朝刊は配ることにした。
この1年半、青年に褒め言葉ばかりだった担当者の、180度手のひらを返した態度に、青年は、大人社会の汚さ、世の中の不条理を強烈に感じた。
やがて応援部隊が入り、青年たちの朝夕食は河原町五条西にある隣の読売販売店が世話をすることになった。食事を与えてもらう惨めな思いと、自分たち学生だけで店を切り盛りしている自負が入り混じった大学2年の夏を、そんな気分で過ごした。
そんな隣店でのある夕食時、その店の学生が一度話ししたいと言ってきた。
そこが絶望から希望への再点灯のスタートだった。
指定された日時と場所には10数人の奨学生含む新聞配達学生がいた。青年はこんな多く、同じ境遇のメンバーがいることを初めて目の当たりにした。その内の一人が口を開いた。
「我々も学校に行けない。休みが欲しい。給料をきちんと払って欲しいといつも思っているが、貴方たちのように店主夜逃げ後も、学生だけで店をやっているなんて凄い事聞いたことがない。一緒に力をあわせて境遇を良くしよう」と。
しかし、当時田舎者の青年にはその言葉も意味もさっぱりわからなかった。
(6ページに続く)
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