2014/8/6 | 8月6日午前1時17分、大きな声を出して飛び起きてしまいました。結構な揺れで、京都市北区は震度3としばらくしてテレビに出ました。そしてもう一度ぐらり。 今日8月6日は広島に原爆が投下されて69回目の夏。そして最も最悪な69回目の記念式典。いつもなら、この日の痛みを心にしっかりと刻み、核兵器のない平和な世界のために力を合わせることを誓う。 今年は、どうしたら戦争する国にならないようにすればよいのか、具体的に考えなければいけない年になってしまった。行動も考えなくてはいけない。そう考えると、昨年までなんとノウテンキだったことか。 この油断が今の事態を招いているとしたら、大人の一人として、反省だけではなく、もっともっと行動し、発言、発信をしていかなくてはいけない。 しかし、一方で、子どもたちの育ちも揺らいでいる。マスコミが流す情報だけで判断はできない。しかし、社会の動きに最も敏感な子どもたちは、この揺らいでいる社会を敏感に感じ取って泣いているカナリアの役割を果たしていると考えられないだろうか。決して特殊ではないと私は感じている。 戦争に対する意識も大人によって変えられてきている。人の命、人には命があること、一度なくなったらもう元には戻らないもの、ではなく、命がバーチャルになり、つくられるものになり、簡単に消せるものになっているのではないだろうか。 人として生きること、人として人生を全うできる社会になることを目指して子どもたちにかかわる仕事を京をスタートにまた頑張りたい。 手始めは土曜日、日曜日の全障研滋賀大会から始まります。どうか台風が直撃しませんように。(いけぞえもと) |