2014/2/3 | どの組織にもきっと「看板」になる人や「屋台骨」で支える人や「大黒柱」で頼りになる人がいる。 先日亡くなった大山好勝さんはその三つを全部役割を果たして京障連を支えてくれた方。 私が事務局長になったとき、大山さんは京障連の会計を担って下さっていた。加盟団体に分担金を請求し、会計処理し、そして自らも足が不自由な障害をお母さんがどのように乗り越え、守ってこられたかを語ってくださった。 いつも年度初めに自転車につける夜にキラキラ光る反射板を持ってきてくださった。御自分もいつも自転車愛用だった。そのほうがずっと自由に動けるからと。 でも歩くときはいつも白い色のコートを着て、車や人からも気づかれやすいようにと、お母さんから言われていたといくつになっても言いつけを守っておられた。 京障連を引退されてからお会いするいことがほとんどなくなった。でも、大山さんどうしてはるかな?と時々話題に上る我が家。 お別れに行ったとき、やっぱり男前の大山さんでしたが、ぎょろりとした目は閉じられていました。お世話になりました。(いけぞえもと) |