2014/5/13 | いっきに夏が来た。そしていっきに着るものが変わった。時候の挨拶が変わった。咲いている花が変わった、飲み物が変わった、あと何が変わったのだろうか。 この変化は自然な変化で、この国は四季があり、変化を楽しむ風情があるのかもしれない。この変化は毎年同じように変わってぐるぐる回っている。去年もとか、去年はなど、比べながら今年を受け入れていく。 変わることは悪くないが、変えることには疑ってかからないといけないことがある。メニューを変える、人事を変える、やり方を変える、そして憲法を変える。 変わるのではなく変えるときには意思が働き、都合のよいように変える動きであることに敏感になりたい。変わる子どもの姿、季節の変化、みな自然な営みの中の変化。 人間も変わりたい要求を持ちながら、四苦八苦しながら変わろうとしています。でも、変えられようとするときにはそうはうまくいきません。意思が働き、思うようにならないのが子どもや人間では。 憲法が自然に変わることはありません。変えたいという意思が働いて変わっていくのです。でもその意志の中に「戦争ができる国にしたい」という意思が働いているとしたら。 もっともっとこの国は平和で、豊かな国に変わらなくてはいけないのに、反対の方向に変えようとしている力に対して、変わろうとする力はまだまだ小さい。 自分は変わろうとしているのか、変えられようとしているのか、人生の分岐点が今のよう。(いけぜもと) |