編集長の毒吐録
<<前のページ

☆2019/10/15更新☆

【悼】横関武さんが亡くなられた。90歳だった。東京での8年に亘った編集者生活に別れを告げて京都に帰った。1982年、37年前のことだ。紹介してくれる人が居て、横関さんにお会いした。当時、彼は、京都生活協同組合の理事長だった。以来11年、横関さんとは、職員として、生協連合会の役員として、教えを受け、人生と社会を語り合った。時には、それは何時間にも及び、毎日ということもあった。視覚に障害を持つ彼には、僕の意見も貴重だった。

ある人から、京都市長選挙への立候補を打診された。1992年の晩秋のことだった。上司だった木原正雄さん(会長、京都大学名誉教授)と横関さんに事の顛末を報告し意見を求めた。僕の報告を聞いた横関さんは、僕が市長選挙に立候補することを、積極的に薦めた。ためらいはなかった。背中を押してくれた。「生協規制」が、政権によって進められている時期に、勇気ある決断だった。そして僕は生協を辞め、「市長浪人」になった。93年、96年、2000年の3回、僕は市長選に立候補したのだが、横関さんの位置に変化にもかかわらず、支持姿勢は変わらなかった。

揮毫を求められると「汝の隣人を愛せよ」と書くのが常だった。彼はコミュニストだったが、同志社大学神学部出身ということもあって、キリスト教に造詣も深かった。心で「人を愛し」、「人を愛する社会」を求める姿勢は一貫したものだった。戦前からの社会運動家の初代京都生協理事長・能勢克郎(元同志社大学教授・弁護士)の「弟子」でもあった横関武さんは、僕の「善き」先人だった。

Smart Renewal History by The Room

閉じる

First drafted 1.5.2001 Copy right(c)福祉広場
このホームページの文章・画像の無断転載は固くお断りします。
Site created by HAL PROMOTIN INC