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☆2020/1/16更新☆
『障害者だからこそ語り継ぐ 平和・憲法の尊さ 米食い虫、非国民と ののしられながら 戦争を生き抜いた肢体障害者たちの証言』(全国肢体障害者団体連絡協議会/発行、200円)に「民衆の憲法」と題する僕の小文が掲載されている。以下はその全文。
≪憲法前文は<平和のうちに生存する権利を有する>と宣言しています。また第13条では、<生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする>としています。
ところが、自民党の憲法改正草案(12年4月)前文では、<活力ある社会の発展と国民福祉の充実を図り>として、<活力ある社会の発展>を国民目標にしています。つまり、<活力ある社会の発展≫に「貢献」「役立つ」ことを国民目標としているわけで、そうではない人びとの存在(例えば障害者)を排除しています。
さらに「草案」13条では<生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り>として<公益及び公の秩序>を前面に立てていますが、これは<公益及び公の秩序>に反しない限りで幸福追求を認めるというものです。16年7月26日の相模原障害者施設殺傷事件の背後に、国民を選別する「明文改憲」の動きがあると僕は思うのです。 ☆ 僕も原告の一人だった「障害者自立支援法違憲訴訟」は、既述の憲法第13条を掲げた“憲法裁判”でもありました。障害を唯一の理由として、支援サービスの一割を強要する「応益負担」原則は、生存権や幸福追求権を定めた憲法に違反すると提訴しました。制度そのものが、障害者の生きる権利を奪うと批判し、すべての国民が等しく生きる権利を定めた25条(生存権)や13条(幸福追求の権利)、14条(法の下の平等)などに違反すると考えたからです。訴訟は、障害者が憲法訴訟に立ちあがった珍しい事例であり、日本の障害者施策に大きな影響を与えました。 ☆ 憲法は「押しつけ憲法」論に包まれてきましたが(そのことの誤りはいまでは明確になっています)、先行する「大日本帝国憲法」(1889年公布、90年施行)の制定過程での人々の関わりで落としてならないのは、「五日市憲法(いつかいちけんぽう)」と呼ばれる“私擬憲法”です。これは204ヵ条からなり、そのうち150条を基本的人権にあてており、権利保障に重きをおいたものです。五日市学芸講談会の千葉卓三郎が1881年に起草したものとされ、当時としては画期的な内容が含まれ、現行憲法に近い内容もみられます。
美智子皇后は、<明治憲法の公布に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています>と述べたことがありますが、憲法は押しつけられたものでなく、人々がつくったものです>と言っています≫。
Smart Renewal History by The Room
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