編集長の毒吐録
<<前のページ

☆2020/3/10更新☆

【読書雑記618】『稱心獨語』(加藤周一、新潮社、800円+税)。本著の見ものの一つは装丁だろう。表紙は漢文で、裏表紙にはラテン文字。このデザインは何を意味するのか。装丁者は渡辺一夫(フランス文学者、加藤の師匠格)だ。本著は、ドイツとアメリカの大学街に住んでいた頃の想いを収録した小論集だ。この2篇の他、著作集にも未収、その一つに「文学は平和に役立つか」がある。

<漠然とした問題に、正確な答をみつけることはむずかしい。たとえば、「文学は平和のために役立つか」ーもう少し正確な問題は、たとえば、次のようなものである、「文学は、他の要因の如何にもかかわらず、戦争と平和を決定することができるか。」その答は、あきらかに「否」である。また「文学は、戦争と平和を決定する多くの要因の一つであるか。」その答は、「然り」である>。

気になったのは次の指摘だ。著者は第二次世界大戦が「悪徳が準備し、美徳が戦った」最後のいくさだったという。次のいくさを準備するものは、もはや悪徳ではなく、組織であり、戦うのは、もはや美徳ではなく、計算機だろうという。

<しかるに、文学(と芸術)は、個人が準備し、想像力が実行するほかないものである。やがて、戦争にとっても、その意味での平和の維持にとっても、文学が有害無益の異物と化するのは時間の問題にすぎまい。文学の側からいえば、それが現代の文学であるかぎり(すなわち時代錯誤でも、まやかしでもないかぎり)文学は必然的に反戦的になり、また必然的に現状維持の平和に反するものとなるーということである>。

つまり、1972年からみた将来の文学は反戦的にならざるを得ないと言っているが、それは一部を除いて当たらなかった。

Smart Renewal History by The Room

閉じる

First drafted 1.5.2001 Copy right(c)福祉広場
このホームページの文章・画像の無断転載は固くお断りします。
Site created by HAL PROMOTIN INC