編集長の毒吐録
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☆2020/3/15更新☆

【悼】写真家の橋本紘二さんが亡くなられた。75歳。彼は1945年、山形の農村の農家で生まれた。同年生まれということもあり、雑誌(『あすの農村』)編集者の僕と彼はしばしば会い、話をまじわした。月刊誌『現代農業』に連載したグラビアは約40年も続くが(74年から続いた名物連載)、それはモノクロで、毎号10ページほど(ギネスものではないか)もあった。

こうじさん(僕は橋本さんをこう呼んでいた)は、身体全体に「農」をもっている人だった。身体が「農」に覆われていた。それは、持ってくる写真もそうだった。

初春、と言っても雪国(新潟県の松之山)のそれだったので、5月の連休の頃に写した写真だった。田んぼに雪解け水が、白い泡を立てて流れている。その流れに、光る鍬が一つさしかけてある。何時間か前までその鍬は泥だらけだったのだろう。高いところから低い流れる雪解け水が、泥を流し、ピカピカの鍬を作り出した。美しい「農」。

ある時のこと。1枚目の写真は、年末のバスの客席、1番前の補助席に男が松の盆栽を大事そうに膝の上に乗せて座っている。ごつごつした手と指が、彼が肉体労働にたずさわっていることを想像させる。その夜行バスの行き先が新潟であることから、彼は出稼ぎ農民だろう。

2枚目の写真は彼が、広い家の中で、どてらに着替えている姿が写っている。3枚目の写真は盆栽が、正月らしい掛け軸と共に床の間に飾ってあるところ、最後の4枚目は、紋付袴姿の男が、神棚に手を合わせる所が写る。「高度成長」の一端を、4枚の組写真は示す。処女作の写真集『春を呼ぶ村 越後松之山の風土とその暮らし』ではないが、農仕事の「美」を追いかけて、2008年の秋、新潟県十日町市松之山に移住した。達意の文章を書く人だった。

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