編集長の毒吐録
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☆2020/4/1更新☆

≪悼辞―前を歩いた12人 ❹作家の井上ひさし(1934年~2010)は、「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、ゆかいなことをいっそうゆかいに」と言い、自らも実践した。2020年4月9日は没後10年になる。

「ガバチョ」と呼ばれていた友人がいて、「ひょっこりひょうたん島」の話と歌、登場人物(人形)の声が印象に残っている。『吉里吉里人』で、彼の豊かでとらわれることのない発想に驚嘆した。/ひさしは、日本語論やコメ論、憲法論も書いたが、あることを書くことによって、その問題の専門家になった。コメが日本の農業の大切な柱であるとの指摘などはその最たるものだ。

ひさしはペシャワール会の古くからのサポーターでもあった。ペシャワール会の中村哲さんが日本に帰っているのにあわせて講演会が開かれ、ひさしさんも演壇に立った。慇懃無礼な主催者を揶揄しながら、国際貢献の仕方をひさしさんは鋭く問うた。

ひさしは、イタリア、中でもボローニャの研究者でもあった。彼に『ボローニャ紀行』というがあるが、社会的協同組合にも注目したこの文章で、ひさしはイタリア社会に別の光をあてた。この町に、ヨーロッパでも古いボローニャ大学があること、戦後この町の「赤い伝統」もあって中央政府からのけものにされたこと、路上生活者の雑誌販売や芝居にのめり込む様子などが連載で書かれている。ボローニャ郊外の知的障害者が働く農場やレストランも紹介した。

入院しているとき読んだのは『座談会 昭和文学史』(全6巻、集英社)だった。小森陽一さんと井上ひさしさんの二人が、数十人の論客と縦横に語るのを愉しんだ。

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