編集長の毒吐録
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☆2020/4/22更新☆

。】元京都大学講師、「NHKを監視激励する視聴者コミュニティ共同代表」と紹介される湯山哲守(ゆやまてつもり)さんが亡くなれた。75歳。

1歳違いの「兄貴」だった。はじめての出会いは、僕が2回生、彼が3回生の時だった。彼は同学会(京大の全学自治会)の委員長、僕は同学会の中央執行委員だった。わずか1歳しか離れていないにも拘わらず、「頼りになる兄貴」という風だった。選ばれてすぐ、大学は夏休みに入った。登校する学生の姿も少なくなり、それにつれて、同学会の役員のうち毎日、ボックス(東大路通の西側の西部構内にそれはあった。木造の建物で、道に面したから窓から出入りしていた)に「登校」するの彼(自宅通学の彼女がいた)と自宅通学の僕だけだった。

僕は、先輩で理学部の学生(僕は教養課程の農学部生)の彼から、いろいろなことを教わり、「僕の学校」だった。広場の南側の生協食堂は営業していた。朝の「定例行事」になっていた『アカハタ』の二人読み合わせをしていたとき、彼が「井上。ここに書いてある水害被害者のためのカンパ活動をしよう」と言い出した。

突然のことだった。夏休み中で、学生の登校も少ない中、その提起は「無謀」と思えた。カンパ箱を作り、拡声器を持て、僕らは生協食堂に立った。いくら集まったか、今では定かではないが、確かな手ごたえがあったことは覚えている。「政治的な感の鋭い」人と思った。54年前、1966年夏のことだ

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