編集長の毒吐録
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☆2020/5/1更新☆

≪悼辞―前を歩いた12人 ❺人を育て、政治革新に力を尽くす≫ 2009年9月21日、西山秀尚は85歳で亡くなった。西山さんは1924年、京都の伏見区淀で生まれ、49年に共産党に入党、京都府青年団体連合会会長、日本青年団協議会副会長、民主青年同盟中央役員などを務め、57年に共産党の専従になった。京都府議には79年になり03年まで6期24年務めた。共産党京都府議団長で同党の府副委員長を務めた人として紹介されることが多いが、僕の西山はこれとは少し違う。 
 
 僕が、西山と出会ったのは66年のことだった。西山が共産党の青年学生部長、僕は京都府学生自治会連合(府学連)の役員だった。その翌年、僕は一人で、ある新聞社の支局に乗り込んだ。新聞が、僕らの府学連を「日共系府学連」「民青系府学連」と書いていることへの抗議だった。

その顛末に耳を傾けた西山は、府学連の役割についてある確信をもったようだ。府学連の中心的任務は、大きな大学以外に自治会組織などをつくることだ。府学連の影響と組織を強めることが、「日共系」などという余計な言葉を取り払う。急がば回れということだった。

僕らは、自治会がない大学、短大、予備校、看学など、高校生以上の学生が在籍している大学・学校に手を広げていった。京都の「大学」をリストアップして、これらに手を差し伸べた。

京都には仏教の本山が多いこともあって、宗教系の大学が少なくなかったが、ここでは、西山の「大学論」「宗教論」が威力を発揮した。「敵」は宗教ではない。宗教を信ずるか信じないかを争っているわけではなくて、学生の自主的な団結権を認める人はすべて味方という考えだった。「唯物論」をかじった学生に、彼の提起は新鮮だった。

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