編集長の毒吐録
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☆2020/5/5更新☆

『ねっとわーく京都』6月号は、“「自粛強制」と「補償」を一体とした政策こそが、「連帯」と「希望」への道”の見出しを立てて、拙稿を紹介してくれています。以下は、その全文です。

石庭で名高い龍安寺(りょうあんじ)は、右京区にあります。衣笠山山麓に広がる龍安寺一円は、妙心寺の山内塔頭と同様の扱いを受けています。「非常事態宣言」が出されることになっていた4月7日の朝10時すぎ、これまで何十回となく通ってきたお寺で珍しい経験をしました。僕とヘルパーさんだけが「客」で、他に居るのは、寺域を掃除している人と警備員さん、お店の売り子さんだけだったのです。広大な寺域に僕ら2人だけとは・・。新型コロナウイルス(以下、コロナ)の影響を調べるための龍安寺ゆきでしたが、人の姿が全く見えないとは・・。「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されているのに・。「何百年ぶりですね」とはお店の人の言、思わずわらび餅を買い求めました。

緊急事態が宣言されたが・・
4月7日(火)、政府は緊急事態を宣言しました。世界中の都市から人影が消えつつある今、遅すぎる「宣言」でした。2月5日に、大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号で10人の患者が報告され、3月24日にオリンピック・パラリンピックの延期が決まり、ようやくの4月7日です。社会のシステムが国レベルで完結していた時代であれば、「封じ込め」は抜本的対策になったかも知れません。しかしながら、グローバリズムが進む世界では、200に近い国・地域に感染が広がっていますが、1国だけの封鎖では不十分です。オリ・パラ騒ぎがそれを示しています。「✖✖ファースト」は、コロナ脅威には通用しないのです。

「封じ込め」では対応しきれない崩壊が世界で進んでいるのではないでしょうか。医療の現場では、人工呼吸器が不足し、高齢の重症患者と若いそれのどちらに、呼吸器を装着するのかという選択を迫られています。呼吸器を若者に回さざるを得ないとの決断は「最も弱い立場にある人こそ、最優先で救済する」という、人間倫理の根幹を揺るがします。そのような判断を重ねることで、倫理が蔑ろにされ、「弱者を見捨てても仕方ない」という感覚が広がりかねません。パンデミックの長期化と深まりは、人心の荒廃までもたらしかねません。

社会的・政治的・経済的に恵まれた人は、格差や貧困などからは逃れられましたが、コロナには著名人や政治家も感染しています。「民主的で平等な危機」であり、社会の指導層・支配層もわがこととせざるを得ません。そうであるがゆえに、思い切った対策が進む可能性もあります。

“社会的弱者”の立場から
第2次世界大戦以来の“危機”と言われる中で、“社会的弱者”自身、あるいはその人を支えている人は、この事態をどう考え捉えているのでしょうか。もちろん、あらわれ方には違いがありますが、共通しているのは、不安と無策への憤りです。以下は、筆者に届いた、障害者などの“社会的弱者”の声(憤り、あるいは悲鳴)です。
                  ☆
<コロナの温度差は、分断に繋がります。情報を集め、あっちに感染者が出たとなれば行動を制限され、こっちのドラッグストアに除菌スプレーがあると聞けば買いに走るという高齢の母の反応を見ていると、コロナに怯えるというより、報道や社会の動きによって不安を増殖させているように感じます。不安に向き合うには、パフォーマンスや勇ましいことを言うのではなく、寄り添い正しい情報を分かりやすく提供することではないでしょうか。「むずかしいことをやさしく」こそが求められています>(大阪の主婦)
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<引きこもりで在宅暮らしをしていますので、変化はほとんどありません。 ただ、夫の仕事は清掃業務なので、在宅で出来る仕事ではありません。 経済的にどうなるのか。またこの先、家族の誰かが感染したら、支援なしに生きていけない障害を持つ子どもはどうなるのか? 先の不安はあるけれど今だけでいうと、在宅してきたことが功を奏しているってことになります。自立って、なんでしょね? >(障害児と暮らす母)
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<私の妹は40代後半の知的障害者。作業所を続けられるか、グループホームから帰宅要請が来たらどうしようかなど不安が募ります。施設長に尋ねると、スタッフに感染者が出たら帰宅してもらわざるを得ないとの返事です。しかし、帰宅する家のない利用者もおり、国も都も方針を打ち出さない下で苦慮しているそうです。母には排泄の困難があり、妹への過干渉・DVもあります。外出の制限された中での暮しは無理です。ホームから帰されたら妹にはわが家に来てもらうしかありません。精神科に通院中の夫と息子にも負担を強いますが・・。同じホームの人は「高齢の母親は認知症が進行してきょうだいのケアは無理。休校措置で孫たち(障害のある人の甥姪)も家にいる。これまでも週末はおやすみ自宅のぶんと母親・妹のぶんの食事を用意してきたが、平日もとなると・・」と言います。福祉事業所があって生活が成り立ってきた、その事務所を支える支援を、というのは切実な願いです>(障害を持つ妹の姉)
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<コロナが世界の人間を襲っています。私は、最近まで、人権というものは人の命は平等なものと信じてきました。しかし、その大切な命が、ナショナリズム、宗教、政治体制に翻弄されています。医療崩壊を防ぐという建前のもとで、重症か否か、年齢はどうか、障害者かどうかなどによって、あからさま″に選別されています。呼吸器が少ないのも、感染症患者のベッド数が足りないのも、経済が極端に落ち込むことも、そもそも私たちハンディのある者の責任ではありません。各国の貧富の差や権威主義の医療界が、私たちの存在を置き去りにした優生思想に侵略されていた現実に、計り知れない失望感を抱いています>(障害者本人)
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<コロナ感染防止のため息子のショートステイが利用できません。週3〜4回の通所は今のところ行けますが・・。2月に肺炎で10日入院して肺機能も低下していて無理はできません。消毒薬も底をつきつつある中、庭で元気一杯のハーブちゃんたちに協力依頼。ローズマリーと生姜のお茶はなんだか心も元気になる気がします。彼はも胃ろうでティタイム楽しみます。具体的な支援策がなく精神論だけでは、日本の文化芸術の夜明けは来ないでしょう。文化イベントの自粛が続く中、文化庁のホームページに発表された長官の「日本の文化芸術の灯を消してはなりません」「明けない夜はありません!今こそ私たちの文化の力を信じ、共に前に進みましょう」という声明に、文化関係者から、休業補償などの具体的支援策に言及せず、「空疎だ」「精神論では乗り切れない」などの反発が相次いでいるそうです。こんな能天気な長官のもとでは、文化庁の京都移転も、京都の文化芸術の発展につながるか疑問です>(障害者の母)
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<いつもはスーパーにある精製水。無呼吸症候群で就寝時の無呼吸を防止するためバイパップを動かし、マスクから加湿した空気を送り込むために精製水が必要です。いつでも売っていたので、ストックをしておく意識がなく、少なくなったら買い足して13年。先週、スーパーや、ドラッグストア、薬局などを回りましたが、棚はスケスケ状態で精製水はゼロでした。エタノールの原液を希釈するために使われている模様です>(障害者の妻)
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<児童発達支援事業所は自立支援法ができた時、措置から契約制度になりました。その時から事業所と利用児の保護者が契約をして事業所を利用する仕組みとなり、利用した分だけの利用料を払う仕組みに変わりました。ということは事業所からすると、利用児童数しか収入が入らない仕組みになり、子どもの発達に取り組む施設が”水商売“になったということです。子どもはよく病気をし、保育園や幼稚園の行事でのお休みもあります。これまで、日払いはなじまないと言ってきました。そこに感染を危惧するお休みも増えています。事業所の減収は必至です>(児童発達支援事業所の責任者)

暮しを直撃する“コロナ戦争”に負けない
 政府は、466億円の予算で、”アベノマスク”2枚を全世帯に配布するとして、軽蔑と怒りにさらされています。今の深刻な事態を認識していないからです。政府の策は国民感情と区民の窮状から離れてしまっています。「感染の自己責任化」と「補償なき休業の強制」の押しつけに対して、十分な補償がないことを批判し異議申し立てをすることこそが“コロナ戦争”に勝つ唯一の途です。「自粛強制」と「補償」を一体とした政策こそが、人びとが、勇躍して”コロナ戦争”に加われる途です。

コロナの世界的な広がりは、「安全」と「安全保障」とは何かを問うています。同時に、「連帯」と「希望」が問われています。

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