編集長の毒吐録
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☆2020/5/14更新☆

半世紀を超える友人である山本隆さんが、『京都民主文学』70号に「土屋栄吉人物像 院長として域精神医療に捧げた医師」というエッセイをよせています。

<京都に住んでいる人でも、戦前の岩倉について知っている方は少なくなってきた。戦前の岩倉病院(現在の岩倉病院とは無関係)は精神病院として日本中のみならず世界の精神病医学関係者に広く知れわたっていた。岩倉病院長土屋栄吉の縁者としてこの一文を残し後世に何かの役にたてればと思い、特に専門家以外の皆様に一読願えればと書きしたためた>と著者は書いていますが、僕もこれで知りました。

旧岩倉病院の歴史や精神症患者の治療に関しては学者・研究者が論文を発表していますが、著者の祖父(母方)である土屋速雄は、土屋栄吉(1877年〜1957)の七歳下の弟であり、その縁もあってこのエッセイをものにしたそうです。

栄吉は京都府立医学校を卒業後、1904年に「精神病科私立岩倉病院長」に就職、45年に京都府医師会会長になリます(52年まで)。「我が国十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸のほかこの国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」とは、戦前の過獄な状況を表現した精神科医・呉秀三(1865年生)の言です。栄吉は京都市北東部に位置する岩倉の地で、「開かれた病棟」をめざして病者にあたりました。

1906年、ロシアの精神科医スティーダが岩倉病院を中心としたコロニー形式(家族的保養所群)を視察し「日本のゲール」としてドイツの学術誌に紹介したことがあると言います。スティーダは<「目下岩倉村には政府の禁令(精神病者監護法のこと)あるに関せず、私人的看護の下にある患者約百名あり」>と書きました。肝不全、心臓病(著者はバイパス手術をしています)と糖尿病を患っていますが、そうした中での旺盛な執筆活動に頭が下がります。

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