編集長の毒吐録
<<前のページ

☆2020/11/28更新☆

≪悼辞―前を歩いた12人 ⓬“市民”であった人≫ 小田実(1932年〜 2007)は体験記『何でも見てやろう』で有名になり、私小説を批判し全体小説をめざした。後年、ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の代表を務め、“憲法、今こそ旬”と唱えて「九条の会」の呼びかけ人の1人になった。

 小田は、少年時代(12歳頃)に3回大阪で空襲を体験している。1945年3月4日、6月15日、8月14日の大空襲だ。小田の思想の原点に、「空襲体験」=戦争体験=加害があったのではないか。/小田は、「チョボチョボや」とよく言い、「難死の思想」を説いた。また、「ひとりでもやる、ひとりでもやめる」と主張した。

 小田は、「『ルツボ社会』とは違う社会の考え方に『サラダ社会』というものがある。サラダは材料をこねくり回さない。レタスにはレタスの個性があり、トマトにはトマトの価値がある。ハムにもタマゴにもそれぞれのうまさがあり、それぞれの持ち味があり、それらが互いに認め合い、全体が集まってサラダを構成している。障害のある人々や高齢者はこのサラダ社会でなければ生きていけない。ルツボ社会では力の強い者がルツボを回し、弱い者ははじき飛ばされる。戦争になったら殺し合いに役立たない人間は真っ先に切り捨てられるのだ。人間みなチョボチョボや。古今東西みなチョボチョボや。英雄も偉人も老いを迎えればみんなタダの人。しかしそれが本当の意味での「市民」。サラダ社会を構成している大切な「市民」なのだ」と主張した。

 阪神・淡路大震災後の神戸の大丸前で僕と並んで演説した彼は、その後、求めに応じて、「学生無年金障害者京都訴訟提訴3周年記念のつどい」に参加、鹿児島市内での憲法集会での講師も引き受けてくれた。

Smart Renewal History by The Room

閉じる

First drafted 1.5.2001 Copy right(c)福祉広場
このホームページの文章・画像の無断転載は固くお断りします。
Site created by HAL PROMOTIN INC