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☆2021/1/27更新☆
≪読書新世≫❹・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ●『戦後沖縄と米軍基地 「受容」と「拒絶」のはざまで 1945〜1972年』(平良好利、法政大学出版局)でわかるのは、沖縄の米軍基地が、「沖縄戦」後、米軍の「銃とブルドーザー」によってつくられたことであり、沖縄の戦後が米軍基地とのせめぎ合いで成り立っていたということである。 <「米国が沖縄、その他の琉球列島に対する軍事占領を継続するよう希望している」という昭和天皇の意向を伝えている。・・「米国の軍事占領は、主権を日本に置いたままでの長期―25年ないし50年またはそれ以上の―租借方式」提案><(知事が嘉手納村長選挙で『イモ・ハダシ』論を説いて)戦前の沖縄の生活は悲惨なものであった。生活が向上したのは基地収入のおかげである。基地がなくなると・・戦前のようにイモを食い、ハダシで歩く生活に逆もどりする>
●『彼らは自由だと思っていた―元ナチ党員十人の思想と行動』(ミルトン・マイヤー 、 訳/田中浩・金井和子、未来社)は、「第13章 しかしそれは遅すぎた」で書いている。<二ーメラ―牧師は、(ご自分についてはあまりにも謙虚に)何千何万という私のような人間を代弁して、こう語られました。ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。ナチ党はついに教会を攻撃した。彼は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた、と>
Smart Renewal History by The Room
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