編集長の毒吐録
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☆2021/1/31更新☆

【悼】山本隆さんが亡くなられた。73歳だった。学生時代からのお付き合いなので、55年間にわたる交流になる。学びと仕事の分野は違ったが、不愉快な思いをすることは1度もなかった。初めて会ったのは学生時代で、彼は寮自治会代表、僕は学生自治会代表、もう1人は生協代表で、3者が主催する京都規模の集会についての打ち合わせだった。彼の発言が大人びていて印象的だった。後日知ったのだが、年齢は僕より2歳も若く、回生も1年下だった。若い頃の年齢や経験の差は大きく、尊敬の念はさらに深まった。

僕は農業団体、雑誌編集、生協職員、彼は医療団体と歩む道は違ったが、共通する先輩の新年会で毎年出会い、近況を報告しあった。彼が医療団体の道を歩むことになったのには、アジア太平洋戦争以前と戦中に、戦争体制に抗して、医師の途を歩んだ父親の影響があった。さらに言えば、彼は父親の社会的困難に立ち向かう姿を尊敬していたことも理由に挙げられよう。

彼も僕も病もち、病院でばったり出会うこともあった。そこでは病のこともさることながら、彼の「文章作品」に話が及んだ。彼は文章家だったが、中でも島崎こま子の京都生活に興味を持っていた。彼の父親が交流を持っていたからだ。また、京都の岩倉を中心とする精神医療についても、文章をモノにした。彼の縁戚に連なる人が関係していたからだ。両作品を贈られてきて読んだが、丁寧な取材があることに驚嘆した。彼の人生に相応しい作品だった。

Smart Renewal History by The Room

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