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☆2021/2/21更新☆
京都盆地の北側にある府立植物園に行きました。「底冷え」という表現がぴったりする「寒い」というか「冷え」が強い日でした。広い空、樹齢何百年という古木や広い芝生が、「自粛」生活に縮こまった心を解き払ってくれました。盆地に御所を含んだ京都御苑と植物園があってよかった、と心から思いました。75年前、アメリカ占領軍が、駐屯地として京都御苑を希望したとき、天皇が居を構えていた御所に近いという理由で支配層は拒否、代わりとして植物園を「差し出した」と言います。
アジア太平洋戦争の前、植物園は「東洋一」と言われていましたが、戦後、米兵の居住地としての植物園の樹木などが伐採され、往時の姿が失われました。これに輪をかけたのが1951年冬の火災です(近くに住んでいた5歳半の僕は、賀茂川の西の土手から炎を見ていました)。61年春に再開したのですが、16年もの年月、府民は植物園を愉しむことが叶いませんでした。
51年4月に、僕は小学生になりました。学校にプールがなかったので、植物園西側の賀茂川をせき止めて、プール状の「水たまり」を作ってもらい水で遊びました。そこは、「芋の子を洗う」ような賑わいだったように記憶しています。ある時、何げなく植物園を見上げると、白い肌の子どもが数人、裸で僕らを見ていました(見下ろすように見ていました)。川沿いに園内にプールがあったのでしょう。川をせき止めた「プール」で、芋の子を洗うように遊ぶ僕ら、数人でプールを使える「進駐軍」の子ども、それは今も鮮明です。
Smart Renewal History by The Room
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