編集長の毒吐録
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☆2019/5/28更新☆

【読書雑記541】『農学と戦争 知られざる満洲報国農場』(足達太郎・ 小塩海平・ 藤原辰史、岩波書店、2500円+税)。1943年からの国策、満洲報国農場には終戦時70近くの農場が存在したと言われるが、その実態は長く明らかではなかった。

この国策は農林省の役人や農学者たちが牽引した。東京農業大学の実習生や多くの若者たちが辛酸を嘗め、死へと追いこまれた。命を支える農業を研究するはずの農学が、学生を育てるべき大学が、棄民に加担した。

本書のもとになったのは、小塩海平氏による雑誌論文(「農学と戦争−東京農業大学満洲報国農場の記憶」)だが、農学と戦争遂行、満洲移民推進との関わりを農政官僚と農学者が担っていたこと明らかにしている。27万人とも32万人ともいう満蒙開拓団(そのうち8万人の少年は満蒙開拓青少年義勇軍だった)で、そこには東京農大の満洲報国農場もあった。

東京農大の満洲報国農場が、開拓団と青少年義勇軍また敗戦間際に各府県が送り出した報国農場と違うのは、満洲での農場実習を農業拓植科一年次の必修として正課に組み入れたことだろう。1945年の入学生は東京大空襲直後に、「満洲には空襲はないから」と説明され4月に満洲へ向かっている。第3次の学生は6月26日に東京を出発している。実習農場には現地の人びとから奪った既耕地が含まれている。終戦時の犠牲者は学生87人のうち53人にのぼるという。

問題は戦後の大学当局の姿勢にもある。また満洲移民政策に直接関わった農政官僚と農学者は戦後もそのまま農政と農学に関わり、叙勲を受け、学者として評価をされている。「農学と戦争」の歴史、満洲移民と農学者との関係を知ることができる一冊。

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