編集長の毒吐録
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☆2019/7/19更新☆

7月21日付の週刊新聞『京都民報』が、「論壇・オピニオン」の欄で、<いのちの価値”ゆがめるな 相模原障害者施設殺傷事件を考える>」の見出しを立て、拙稿を紹介してくれている。以下はその全文。

        事件の背景に自己責任論
 
2016年7月26日、相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で事件は起こった。入所者ら46人を殺傷したとして殺人罪などに問われている植松聖被告の裁判が、20年1月から横浜地裁で開かれる。起訴状などによると、植松は7月26日未明、園に侵入し、職員を縛ったうえで重度障害の入所者を次々に襲って首を刺すなどしたという。植松は警察の調べに対し、「障害者なんていなくなればいいと思った」などと供述しているという。

事件の背後には、障害者自立支援法を貫く考えがあるだろう。「障害自己責任論」を押しつけ、「自己負担」を求める考えは、「役に立つ」ことを求め、「社会に迷惑をかけない」存在を前提にしてきた。犯行は戦後史を画するような悪質なものにも関わらず、蛮行を糾弾し、犠牲者を悼み、国民に困難を乗り切ろうと呼びかける総理大臣の言明はなかった。さらにいうなら、障害者組織から声明が出されているが、「非障害者団体」からのそれはない。事件が社会のありようにかかわり、社会が暴力で破壊されたにもかかわらず、だ。

「ある社会がその構成員のいくらかの人々を締め出すような場合、それは弱くもろい社会である」(1979年の国連国際障害者年行動計画)と僕は思う。
ここでは、この蛮行の背後にある2つの流れを考えたく思う。

         福沢諭吉の「優性思想」

福沢諭吉(1835年〜1901)は、「人種改良」という論説で、配偶者を「選ぶ法を如何す可きやと云うは第一に血統」であり「人間の婚姻法を家畜改良法に則とり良父母を選択して良児を生ましむるの新工夫ある可し」とし、「先ず第一に強弱雑婚の道を絶ち、其体質の弱くして心の愚かなる者には結婚を禁ずるか又避孕せしめて子孫の繁殖を防ぐと同時に、他の善良なる子孫の中に就ても善の善なる者を精選して結婚を許し、或は其繁殖の速やかならんことを欲すれば一男にして数女に接するは無論、配偶の都合により一女にて数男を試るも可なり、要は唯所生児の数多くして其心身美ならんことを求むるのみ」と言っている。

福沢の「繁殖の速やかならんことを欲すれば一男にして数女に接するは無論、配偶の都合により一女にて数男を試るも可」などは、人間の婚姻を「牛馬」の交配とかわらない次元で考える発想だが、それは、ユダヤ人を劣等視し、アーリア人の優秀性を唱え、ナチス親衛隊が設立した「レーベンスボルン」に通じる発想だろう。

また、アジア太平洋戦争前、日本でもナチスの優生学の影響から「国民優生法」(1940年)が制定され、当時は遺伝疾病と考えられていたハンセン病患者をはじめ、47年までの間に538件の断種手術が行われ、「其体質の弱くして心の愚かなる者には結婚を禁ずるか又避孕せしめて子孫の繁殖を防ぐ」という福沢の念願が実現した。この優生学的発想は、「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする」と第1条で謳う「優生保護法」(48年)に持ちこまれた。

被告は「障害者は不幸を引き起こす」「生きる値打ちがない障害者」などと決めつけ、社会からの抹殺、排除を狙い、障害者施設で蛮行に及んだ。ここには、「医療」や「いのち」も「商品」としてとらえる考えが底に流れていて、例えば特攻死などを「美しい死」とする「思想」がある。「いのちの絶対的価値」をゆがめる考えと言わざるを得ない。僕らは、「美しい死」のためではなく、「納得できる生」を求めてきた。そのために、社会保障・社会福祉充実の道を選んだ。

「役に立つ」「役に立たない」で人を選んではならない。

相模原殺傷事件から3年―なにが問題か?あなたはどうする?
日時:7月26日(金)13:30〜16:30 場所:ひと・まち交流館京都ホール(河原町正面) 内容:ミニ講演「相模原殺傷事件が問いかけるもの」隅河内司さん(元相模原市職員、田園調布学園大学教授)、発言、ミニライブ。映画『夜明け前―呉秀三と精神障害者の100年』(66分、2018年)参加:参加自由・無料。手話通訳あり

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