|
<<前のページ
☆2019/7/31更新☆
<近代の京都を創った12人>❽花谷暉一と原爆被害
京大の正門を入ってすぐ右側に、木造2階建ての「花谷会館」(はなたにかいかん)はある。京大生協の本部として長年使われて来たこの建物は、今では耐震を理由に使われなくなっており、人の出入りもないまま放置されている。この建物は京大、あるいは京都にある被曝の記憶を呼び起こす「記念碑」であり、広島原爆の被害を教えてくれるモニュメントである。
1945年9月17日、この地を枕崎台風が襲い、同夜10時30分頃、山津波は一瞬にして大野陸軍病院の中央部を壊滅させ、山陽本線を越えて海中に押し流した。大野陸軍病院に本拠を置いて調査にあたっていた調査班員11人を含む人が台風被害にあった。死者・行方不明者2000人を超えるという大被害だった。
被害者の一人が京大理学部物理学科の大学院学生・花谷暉一だった。この調査団は「原爆災害綜合研究調査班」と言い、京都帝国大学が中国軍管区司令部の要請を受けて組織、医学部と理学部の教官や学生などが、広島に派遣され、9月3日からこの大野陸軍病院に本拠を置き診療・研究にあたった。
花谷暉一(てるいち)の死を悼んで、遺族が大学に寄贈されたお金をもとに花谷会館が建てられた。現地には「京都大学原爆災害総合研究調査班遭難記念碑の由来」と書かれた碑がある。原爆の残酷、調査団と花谷暉一の無念を花谷会館は伝える。
≪➊四方文吉(しかたぶんきち)と建物疎開❷堀川弘道と「映画の都」❸ヴォーリズと洋風の近代建築❹渡辺白泉と『京大俳句』の弾圧❺斎藤雷太郎と『土曜日』❻夏目文夫と障害者❼茂山千之丞と伝統の世界≫
Smart Renewal History by The Room
|