編集長の毒吐録
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☆2019/8/21更新☆

<無言館&俳句弾圧不忘の碑への旅(全❹回)>  ❶8月3日、4日の両日、長野市内で、「守ろう平和・いのち・人権 学び合おう発達保障」をテーマとした全国障害者問題研究会第53回全国大会が開かれた。終了後の5日、上田市の「無言館」と「俳句弾圧不忘の碑」(同市内の美術館でやっていた「没後100年  村山槐多展」も観た)を訪ねた。夏の一日、忘れがたい一日となった。

信州・上田平に戦没画学生の絵を展示した無言館はあった。どこまでも広がる田園風景と山なみが続く。それを一望できる小高い丘の上に無言館と2008年にオープンした無言館第二展示館「傷ついた画布のドーム」がある。館主は窪島誠一郎さん、村山槐多、野田英夫、吉岡憲らに注目した画商でもあり文筆家でもあった。

その窪島に無言館の話を持ちかけたのは野見山暁治(ぎょうじ。画家)だった。野見山は東京芸術大学の学生時に、学徒動員で戦地に動員された。戦後、仲間たちが戦死していった悲しみをずっと抱えてきた画家でもあった。2人がつくり上げた無言館は、それ自体が芸術作品であり、それもあって、今も人々を引きつけている。

教会堂であるかのような空間、そこが展示室だった。無言館には、戦没画学生の作品が展示されている。そこは、静寂が支配する空間、僕は作品を無言で観ながら、無言で作品と対話した。作品も鑑賞者たる僕も「無言」だが、「無音」ではない。頭の中は、うるさいぐらいの「対話」が鳴り響いていた。

ある時は、交響曲「田園」が鳴り響き、ある時は、「運命」が鳴っている。妻である若い女性の裸体絵は、作者が戦地に動員される前日まで描かれた。そこには、「戦争」はないが、美しきものに没入することによって、鬱屈を忘れ去ろうという作家の意欲があった。(❷へ続く)

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