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☆2019/8/27更新☆
【読書雑記563】『鼎と槐多 わが生命の焔 信濃の天(そら)にとどけ』(窪島誠一郎、信濃毎日新聞社、1800円+税)。著者は無言館の館主、村山槐多と従兄の山本鼎の歩みを描いた評伝小説。二人が、そして著者が愛する信州での暮しも描く。「自由画教育運動」のパイオニアでもあった表現者で画家の山本鼎と、自由奔放に生きた画家で詩人でもあった村山槐多が追い求めたものは何だったのか。
著者は信州を愛し上田という地で多くの美術館を建てたが、本著は2人の「評伝」であり、著者の絵と人、風物に対する想いが伝わる小説でもある。
窪島は、かつて「信濃デッサン館」を開設、多くの作品を展示した。本書は、山本鼎、22歳で夭逝した村山槐多の生涯と作品、その残した言葉を紹介した本だ。著者は上田の生まれではないし、鼎も槐多も上田出身ではないが、その3人が上田に住み着いた理由が語られる。
鼎は1882年、愛知県岡崎で生まれた。父親で医者だった一郎は上京して森鴎外の父が経営していた病院に書生として住み込む。鼎の母も槐多の母も同じ病院で働いており、森鴎外が「槐多」という名前をつけたという。鼎は絵の勉強がしたいとパリに留学、モスクワを経由して日本に帰ってくる。パリで学んだ版画を広めると同時に、そして自由画運動、農民画運動、農民美術運動をはじめる。
96年生まれの槐多は京都に育つ。14歳違いでパリの鼎のススメで信州上田に旅にやってきた槐多は、信州の山、谷、川に感動、京都のちまちました街からの脱出を考える。京都府立一中に通っていた槐多、そこでは同級生の男子に恋をする。そしてモデルになってくれた女性にも恋をする。槐多はあまりにも若くして結核で死んだ。「天才」と呼ぶにふさわしい槐多の生涯が、「小説」という形式で描かれる。「惜しい才能」があまりも早く逝ってしまった。
Smart Renewal History by The Room
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