千代野ノート
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☆04/15更新☆
300回記念スペシャル  全6部
ブルートレイン
 その@ 本町2丁目75番地

 「人生を運んだ」とかの超感傷的なタイトルが、ブルートレインのラストランには踊る。
もちろん、ラストランだけに群がる「撮り鉄」と言われる集団でなく、それまでその列車で人生の転機や節目を体験した人々へのタイトルとしては、やはりピッタリだ。

 …今から39年前大学受験に失敗し、進学か就職か悩みつつ中途半端な生活をしていた20歳の青年は成人式を期に一念発起、独力独学の道を選び1971年、3月10日夜、寝台急行で大阪へ旅立った。レールの継ぎ目のゴットンゴットンを感じつつも、初めての寝台車だがしっかり寝れた。/11朝神戸付近を過ぎての夜明けと共に起床し、これから始まる新しい人生への期待と不安を、淀川にかかる鉄橋の向こうに見える大阪の高層ビルを見ながら感じていた。
 大阪駅近辺の喫茶店で朝食を済ませ、地図を頼りに開門前一番乗りで読売新聞社へ。
関西以西から約40人の新聞奨学生。3日間千里の研修所で過ごし、13日の夜、京都組10数名は始発駅(淀屋橋)から京阪電車に乗せられた。田舎者の青年は、特急なのに特急券が無いのが不思議だった。着いた終着駅前には銅像(高山彦九郎)が。そこからタクシー分乗で京都御所近くの紫宸殿という建物で、これから住み込みする販売店主と面会し、その10数人はそこで別れそれぞれの独力独学の道がスタートした。青年は店主と一緒にタクシーで東山区五条大橋東の本町販売店へ。
 店主家族や店員が迎えてくれた。数日前送っていた寝袋など荷物は先に到着していた。
明朝4時前に起こすので寝るように言われた。2Fに布団を敷き、机と押入れだけのわずか3畳のスペースが「住まい」。緊張していたので4時前にはきちんと起きた。近日自分で配る地域を自転車で先輩の後を追う。青年は配達先は変な住まいが多いと感じた。靴を脱いで上がり、4畳半くらいの小さな部屋が2F、3Fとたくさんあり、階段も多く迷路で、入口出口が複雑で何度も脱いだ靴を探しに行った。実はここは宮川町の花街で、これらは昔の遊郭跡の建物だと数日後先輩から聞いた。この14日朝雪が降ったのを青年はしっかり覚えている。故郷の九州・唐津では3月半ばに雪など見たことないので、やっぱり遠くに来たんだと実感した。

(2ページに続く)

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筆者紹介
富田秀信
1996年春、妻の千代野さんは(当時49歳)、急激な不整脈による心臓発作で倒れていた。脳障害をきたし、何日か生死の境をさまよった。「奇跡的」に一命を取リとめたが、意識(記億)障害で失語、記憶の大半を失った。京都の東寺の前に住み、神戸の旅行会社に通う。数多くの市民グループの事務局長をつとめるが、その場に千代野さんの姿がよく見られるようになった。
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