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私が子どものとき、はじめて自分の本として買い与えてもらったのが少年少女版『八犬伝』だった。
次々と繰り広げられるスリル満点の戦闘シーンも面白かったし、犬士たちが伏姫の数珠から飛び散った玉を持って生まれてくることの不思議さに驚いたものだった。
それよりも、忠、孝、信、悌、仁、義、礼、智という深い意味を持っていそうな漢字の美しさに魅せられたように思う。義孝とか忠信とかいう二文字もとり込んだ名前の人もいるのに、自分の名前には一文字も含まれていないことを残念に思った記憶がある。
しかし、当時の子どもたちを喜ばすことのできた『南総里見八犬伝』だが、文学史を習ってみると、作者の滝沢馬琴は江戸・文化文政期の戯作者、作品は因果応報・勧善懲悪という近代文学とは無縁のものとやけに評価の低いものだった。確かに、筋立ては荒唐無稽、現実にはありえないことばかりで、そこにはどんな人生の真実も写し出すことができないという見方だったのだろう。
しかし、山田風太郎は違った面から現代によみがえらせた。
風太郎が興味を持ったのは、『八犬伝』のあまりの奇想天外、荒唐無稽さに比して、残された日記にみられる馬琴があまりにせせこましく、几帳面、吝嗇で人付き合いが悪く、現実主義、実用主義であったことだろうと推測する。
その落差は何なのか。それを描いてみたくて風太郎版『八犬伝』の筆をとりはじめたのではないかと思う。筋立ては、原作の『八犬伝』の要約をなぞることと、当時の馬琴の実生活を再現してみせることだった。
本書では、『八犬伝』で描かれた「虚」の世界と馬琴の「実」生活が交互に描かれているが、馬琴の家庭生活や画家・作家たちとの交流が量にしておよそ半分を占めている。そして、読み進めるにつれて、実生活の方が断然面白くなってくるのである。
「実」生活の登場人物は家族の他に、山東京伝、京山、葛飾北斎、鶴屋南北、渡辺崋山等々歴史的に名高い人々が多彩である。
そして、いくつかのテーマについて芸術家たちの考え方の違いが描かれる。なかでも秀逸は虚実論争だろう。
馬琴と北斎が観に行った『忠臣蔵』に、『四谷怪談』という幽霊が出入りする芝居がまじっていた。作者である南北と芝居小屋の奈落で出会ったことから3人の間で白熱した議論が展開されることになる。
「実」である忠臣蔵の中にどうして「虚」である怪談を紛れ込ませたのかという馬琴の問いに、南北は、忠臣なんてものの方がうそ臭い、民谷伊右衛門の浅ましい情念こそが「実」であるという。
なぜ、『八犬伝』などという現実にはありえない世界を描くのかという南北に対して馬琴は、自分は、ツジツマのあわない浮世だからこそツジツマの合う世界を描くのだと言う。それは全く無意味なことで、自分の描く有害の方が無意味よりもまだ意味があると考えると南北。
物語が虚で実生活が実か、はたまた、実か虚かはそれぞれの人が自由に決めてよいものなのか。
最後の章「虚実冥合(みょうごう)」は長男の嫁だったお路と馬琴との心の交流である。連載に20数年かけているうちに、病弱だった息子は他界したうえ、馬琴の視力は徐々に衰え遂に全盲になってしまった。しかし、まだ「八犬伝」は完成していない。夫の死後もずっと嫁ぎ先に留まっていたお路が馬琴が口述したのを筆記すると申し出た。
こうして、70歳をゆうに超えた全盲の舅と、偏や旁はおろか漢字を全く知らない女性との協同作業がはじまった。それは骨の折れる格闘でもあっただろうが、両者にとってかけがえのない時間の共有でもあった。ここに至って交互に描かれてきた『八犬伝』の虚と実とは見事冥合したように見える。
しかし、また私は思う。
二人が心を通わせたと思ったのはそれぞれの心に写ったそれぞれの「虚」だったのか、それとも確固とした「実」だったのか、それは誰にも分からないし、そもそも虚と実は一線をもって区切れるものではないのだろうと思う。それが馬琴の考えであり、風太郎も同感だったのではないだろうか。
わたしも、本当にその通りだと思う。 |
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