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世の中には、様々なところでこだわりを持って妨害に屈しないで生きている人たちがいるものだ。ジャーナリストである著者は、不服従を貫いている勇気ある人たち十数人を取材した。
それらの人たちは、「君が代」に起立を拒む教員とか中学校道徳副読本「明るい人生」採用取り消しを求め続ける教員であったり、あるいは自衛隊演習場の中に住み着いて隊員に憲法9条の意義を訴える元農民などだったりする。
不服従を続ける人たちが取り組んでいる問題は、教育や思想や憲法、民族に関わるもの多いが、その中の一つ、私が知らなかったアイヌ民族の尊厳と自由をかけた闘いを紹介したい。
1980年、明治・大正期のアイヌ民族に関する資料集が「アイヌ史資料集」(全8巻)として復刻出版された。
その「第3巻 医療・衛生編」に、当時のアイヌ民族の氏名や出身地、病歴などが具体的に記されているほか、「独立の精神がない」「(固有の)文化がない種族で滅亡する」などの差別的な記述があった。
実名を載せられていた人の孫にあたる人ら道内在住のアイヌ民族5人が、出版した札幌の文化人類学者と出版社を相手取り、「資料集にはアイヌ民族に対する差別表現があるほか、アイヌ民族個人の病歴などの医療情報が実名とともに掲載されており、人格権を侵害している」などとして、総額三百万円の慰謝料の支払いや謝罪広告の掲載、資料集の回収などを求めて1998年9月札幌地裁に提訴した。
資料集には個人名が病名と一緒にずらりと並んでいて、梅毒とかトラホームという記載も見られる。
病に侵された汚れた民族というイメージが読み取れるが、これらの病気はもともとアイヌ民族社会にはなく、和人の侵略・同化によってアイヌ社会に持ち込まれたものだと原告は言う。文化人類学者の言い分は、滅び行く民族の「生きた標本」として記録しておくべきというものだった。
2002年札幌地裁判決は控訴を棄却、2006年札幌高裁も原告側請求を退けた。判決理由は「資料集の記述は明治・大正期のアイヌ民族についてのもの」で、「資料集出版が権利の侵害に当たるとしても、直接の被害者は実名を掲載された個人とアイヌ民族全体であり、原告個人に対する人格権侵害は間接的に過ぎない」と指摘、そのうえで「現行法の枠組みでは、直接の被害者以外が精神的苦痛を受けたとしても、原則として損害賠償請求などの対象とはならない」とした。
さらに、名誉棄損についても「現在のアイヌ民族についての差別表現はなく、原告個人の社会的評価を低下させるとは考えられない」と述べた。1997年に「北海道旧土人保護法」はなくなったけれど、差別意識は温存されたままだということが分かった。原告たちの闘いは今後も続く。
そのほか、本サイトにもかかわりのある在日外国人「障害者」年金訴訟の金洙榮(キム・スヨン)さんが章を設けて紹介されている。また、戦争への傾斜を深める今の時代について、京都・長岡京市在住の歌人井上とし枝さん(2001年、86歳で死去)が短歌として詠んだ「今に解せぬ拘泥一つ行軍中の「脱糞」号令一下糞は出るのか」というのが、強烈な反戦歌として強く印象に残る。
描かれた人々は、偉人ではなく普通の人たちである。ただ大切なものへのこだわりがあり、流れに掉さすことをよしとしないで、自己の判断力を信頼している。肘を張って権力に立ち向かうのでなく、ふだんは自然体に笑顔を絶やさないで、凛として生きているように見える。
共通しているのは、相手にひと泡吹かせてやろうというような世知辛い競争心でなく、一人でも多くのひとにわかってほしいから、自分をごまかさないため、そうしないでは居られないから、そうする方が楽だからという理由で、ひとりであっても、少数であっても、何度処分されても、「日の丸」「君が代」の強制に抗議したり、裁判に訴えたりしているのだ。
決して、勝つことをあきらめているわけではないが、負けてもまた別のやり方で抵抗するのである。いつの時代でも、正義が正義と認められるまでは、常に少数意見であり、唱えるものはいつも孤独であった。
私たちはこうした少数意見を孤立させてはいけないし、せめて私たち自身、なにかひとつであっても、少数者であることにくじけないでこだわり続けるものを持っていたいものである。 |
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『不服従の肖像』
田中伸尚 著
樹花舎
発行 2006年1月
本体価格 1500円+税
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筆者紹介 |
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若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。 |
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