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部首というものは、読みの分からない字を漢和辞典で調べるときに用いる以外には、とくに注目することもないけれど、漢字を習いはじめのころには、偏や旁(つくり)に共通したものを見つけては、なにか美しい規則性を発見したような気になって興味を持ったことを覚えている。
それもそのはず、中国の漢字研究者にとっては、漢字の分類学は大切な学問で、そのことに一生をささげた人も多くいた。漢字学の歴史は、一貫して辞書を編むことであり、その類の辞書としては『説文解字(せつもんかいじ)』(後漢時代の紀元100年)が名高い(本欄「その他のページ」の大島正二著『漢字と中国人』(岩波新書)参照)。本書も多くはそれによっている。
本書は一昨年に刊行された『部首のはなし』(中公新書)の続編である。
今回も新たに50種類の部首を取り上げて、それぞれに4ページずつ割いて楽しく解説してくれた。気楽に読み進めながら、何気なく使っている漢字の奥深さをを知り、とても賢くなったような気がしてくる。
たとえば12画の黍(きび)と言うところには、こんな話が紹介されている。
5画の<禾(のぎへん)>部におさめてもいいものを、なぜわざわざ12画の<黍>を部首としてとりあげたのか。それは、「黍」という穀物が、「五穀」の一種に数えられる重要な穀物であったからだとする。
ちまきには以前はキビが入っていた。ちまきにつきものの端午の節句はもともと楚の国の憂国詩人屈原をしのぶ行事だったのだと。ここから話しは古代の中国にさかのぼる。
伝説によれば、後漢の欧回(おうかい)という人が、国を憂えて川に身を投げた屈原に汨羅(べきら)という川のほとりで会ったとき、屈原は欧回に言った。「端午節にはみんな私を祭ってくれますが、川の中に投げられた供物はみんな魚に食べられてしまう。もし供物を葦の葉に包み、さらにそれを五色の糸でしばれば、魚はヒシの実と勘違いして食べないから私のところに届くはずだ」と言ったとか。こうして、ちまきは葦の葉で包み、糸でしばるようになったのだと教えてくれる。
また、以下に紹介するような、なんとも言えぬ人類の歴史の深淵を見るような記述もある。
2画<勹(つつみがまえ)> のところでは、掬(きく)と言う字が中国の春秋時代の話に出てくると語りはじめる。
「楚」の攻撃に耐えられなくなった「晋」から、長江に浮かぶ舟に逃亡する兵士が殺到した。向こう岸に渡ろうとする舟に次から次へと逃げて来て舟べりに手をかける。転覆の危険を避けるために舟べりに必死にすがりついている指を次々と切り落としたので舟中に大量の指がたまった。まさに「舟中の指、掬すべし」であったという。
「掬すべし」とは、両手で水をすくい取るように、何らかの様子がありありと見てとれるという意味の格調高い表現だったという。
<勹>の話は、さらに匁(もんめ)という日本人が作った国字に飛び、「はないちもんめ」という遊戯で歌われる花一匁とはなにを表しているのかと問いかける。
一匁は3.75グラムだから、花を売り買いする量としては少なすぎる。一説では、貧しい農村から子供を買い取るときに「花」(女児)一人につき金一匁が払われたのではないか考えていると記している。
口減らしという事実が確かに存在した古(いにしえ)の日本の貧しい時代が浮かび上がってくる。
本書ではじめて知ったのは、いくつかの漢字は、辞書によって分類されている部首が異なっているらしいことだ。字の成り立ちにも関係しているはずの部首だから、当然確定したものだろうと思っていたがどうもそうではないらしい。
もちろん中国の説文解字などでは、それぞれの字についての由来や成り立ちが細かく事実に則して述べられているのだろうけれど、今の便利さが優先される時代には、四角四面でなくてもよいのかもしれない。
部首索引のときには戸惑うだろうが、「手書き検索」マウスをあやつって画面に字を書くと、似た漢字が表示されるような時代だ。この機能を電子辞書に加えられるようになると、部首索引といったやり方も大きく変わっていくだろう。
そんな時代には部首というものが全く注意を払われなくなるかもしれないが、漢字に伴った歴史的な事象は語り継いで行きたいものであると思う。 |
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『部首のはなし2』
阿辻哲次 著
中公新書
発行 2006年1月
本体価格 720円+税
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筆者紹介 |
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若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。 |
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