 |
 |
毛沢東の歴史的評価は、中国でどうなっているのかは分からないけれど、天安門に大きく掲げられた肖像画をみると、「文化大革命」での誤りもその功績に比べるとたいしたことではないということになっているのだろう。
毛沢東には早くより批判的だったと思っている私とて、毛沢東がおかしくなったのは1957年の反右派闘争の頃からで、1966年からの文化大革命でさらに手がつけられなくなったと思っていた。ところが本書によると、「毛沢東の真実」はそんな程度ではなく、日本の侵略下、国民党としのぎを削っていた頃から、その野望、独善、出世欲、権力欲はすさまじかったし、政敵を抹殺することを常としていたと言う。
著者によれば、1949 年の新中国誕生から1976 年死亡するまでの執政28年間だけでも、毛沢東の責任で中国人民5000万人が殺されたと言い、これはスターリンやヒトラーによって殺された人の数を超えていると言う。施政の失敗による餓死者も多く含まれているが、政敵の粛清や政争による死者の数もおびただしい。
まだ、国民党と対立していたころ、富田(ふでん)事件という紅軍将兵の大量殺戮事件があった。1927年当時、江西省などにあったいくつかのソビエト区に「AB団」とよばれる反共組織がつくられていて国民党の手厚い保護を受けていた。
国民党内の左派と組んで支配権をとりもどした紅軍は、自軍内部の「AB団」を摘発するとして、数ヶ月で4400人を死刑に処した。方法は、厳しい拷問で自供に追い込み、名前が挙がった人間を捕まえてはまた拷問を加える。こうして次々と死刑に処していったのだ。
その詳細は不明のままで中国の歴史学者たちも沈黙しているのだが、それは元凶が毛沢東だったからであると著者は断言している。
独裁を維持するために毛沢東が使った手のひとつは、全国に「告発摘発箱」という名の投書箱を置いたことだ。どんな人でも無記名で投票できてなんら責任を負わなくてよい。こうして互いの密告合戦が盛んになった。それとは別に、上級部門が組織的に下級部門から情報を取る「背靠背(べいかおべい)」という相互密告方式もあった。
これらの密告活動は、文化大革命のときには公開の大字報(壁新聞)運動となり、プライバシーがあばかれ当てにならない噂で味付けされて人身攻撃にさらされることとなった。
もう一つの手は、中央幹部には私的警護員をつけることを許さず、警護員は全員中央から派遣する、つまり、警護しながら監視するシステムをとったことだ。中央幹部の秘書も、自分たちが仕える幹部にではなく、毛主席にのみ忠誠を尽くすということだから、警護員や秘書たちはすべて毛沢東のスパイといえた。
また、特捜事件審査という党内紛争を解決するためとして利用された秘密審査制度があった。執権者の統治に批判的な言行をしているのを見つけるか疑うだけでも「専案小組」という特捜班を任命して、疑われた人物を秘密裏に収監できた。特捜班の手に落ちたら最後「白状し正直に自分の罪を認める」しかない。特捜班に押し付けられた罪名を認めるか、それとも「畏敬自殺」(制裁を恐れて自殺)するかのいずれかとなる。こうして、多くの幹部たちが抹殺されていった。
おそるべくは、この調査委員会の責任者には、この次に調査したい者を指名したことだ。1955年「潘漢年(はんかんねん)・楊帆(ようはん)反革命事件」の調査責任者であった羅瑞卿は、1966年文化大革命の第一号専案として彭真により裁かれる。
その彭真を第三号専案で調査したのは劉少奇、その劉少奇は第四号専案で周恩来によって調査を受けるといった具合に繰り返される。「非正常死亡」から免れられるのはごく少数に限られる仕組みになっていた。
2000万人が死に1億人が被害にあったといわれる文化大革命が、そうした秘密警察を利用した末に行き着いた権力闘争であったことはよく知られるようになっている。
著者の北海閑人はもちろんペンネームで、北京在住の元大学教官で共産党中央機関に勤務したこともあり、本論は香港の『争鳴』という月刊誌に連載されたものだという。なるほど、近くにいる人らしく些細なこともくわしく述べられているけれど、本当にそうした人物なのかどうかは私にはわからない。
しかし、書かれている中身は、もちろんすべてとは言わぬまでも大部分は事実だと見た。そこまでひどかったかと新たに知ることも多かったが、我が国でもなお、毛沢東への幻想が残っているとしたらその根拠を突き崩しておく必要はあるだろう。また、中国においては、政治的に都合の良い解釈ではなく、国民自身による事実の歴史的解明が望まれていると思う。 |
|
 |
 |
 |
『中国がひた隠す
毛沢東の真実』
北海閑人 著
草思社
発行 2005.年10月
本体価格 1,800円+税
|
 |
 |
 |
 |
 |
筆者紹介 |
 |
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。 |
|
|
 |
|
|
|