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著者は弁護士で、1993年4月から4年半、日本テレビ午後のワイドショー「ザ・ワイド」のコメンテイターとしてレギュラー出演していた。その体験をもとに、ワイドショーの舞台裏も含めての感想を紹介し、マスメディアについての意見を述べたものである。法律の専門家としての知識を生かしながらの社会論なかでもマスコミ論は傾聴に値する。本書を貫いているのは、社会への確かな目と人権への目配りである。
軽佻な番組と決めつけてあまり見ないことにしているワイドショーだが、このようなまっとうな社会認識をもった人物が出演していることに意を強くする。しかし、テレビ放映を見たどのくらいの人がそういう認識を持ちえただろうか? 多くの出演者の中の一人、短い発言時間という制限と、世論をバックにしたキャスターの誘導質問もある中で、出演者が自己の信念を十分に述べるのには限界があるだろう。
著者も言っている。「生放送であるワイドショーは局がすべてを管理することはできず、その分、放送現場に一定の自由があるが、それだけに責任がある。そこでコメンテイターとしては、当たり障りのないことばかり言っていたのでは存在感がない。面白くない。かといって、突出しては物議をかもす。そのぎりぎりのところで勝負する」と。
著者の出演中には、オウムのかかわる数々の事件や神戸の児童連続殺傷事件、統一教会脱会や皇室報道、ドメスティック・バイオレンスなど様々の問題が話題になり、その都度一番適当と思うコメントを発してきた。著者は当時を振り返りながら、言い足りなかったことや視聴者に迎合し過ぎたことへの少しの悔いはもちながら、的を射た発言については満足そうに回想している。
1993年9月、テレビ朝日椿報道局長が民放連での報告で、「『自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権を成立させる手助けになるような報道をしようではないか』とデスクや編集者と話をしてそういう形で報道をまとめていた」と発言した。それが問題とされると、「指示ではなかった」と弁明したが、著者は「たとえ雑談の形であっても、上司の片言隻句が部下を左右するに十分な力をもつ」と指摘し、ゆえに、椿報道局長の国会証人喚問は放送への正当な国家の介入であったという。
大切なのは、メディアは第四の権力であるという認識から出発しなければならないことだという。「言論の自由」か「規制」かの二者択一という不毛の議論を回避するためにも、マスメディアを監視する第三者機関の設置が必要だと著者は説く。
小泉内閣は「ワイドショー内閣」といわれているが、その先達は1993年の細川内閣であった。そのとき小選挙区制を導入するのにマスコミは大きな役割を果たした。田中角栄内閣のときには小選挙区制に反対したマスコミがなぜ賛成したのか。著者はその経緯について、マスコミの非民主性とそのときそのときによって揺らぐ一貫性のなさについて熱く語っている。著者の立場は明確である。
私も、選挙や大きな法案が問題となるたびに、マスメディアの報道の仕方に不満を覚え、その大きな影響力について考えさせられてきた。国民によるマスメディア監視のあり方とその方法についての論議を早急に深める必要があると思う。 |
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『ワイドショーに弁護士が出演する理由』
小池振一郎著
平凡社新書
本体価格 760円
発行 2001年10月
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筆者紹介 |
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若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。 |
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