若田泰の本棚
次のページへ進む
『忘れられた戦争責任 カーニコバル島事件と台湾人軍属』
木村宏一郎著
 ベンガル湾の南に、ビルマとスマトラを結ぶように南北に連なった島々がある。アジア・太平洋戦争において日本軍は、イギリス領インドの一部であったこの諸島を占領した。

 敗戦の1ヶ月前、その列島のひとつ人口7000人の小さな島、カーニコバル島で原住民やインド人の虐殺事件が起こった。その戦争犯罪は戦後、イギリスによって裁かれ、日本軍関係者6名が死刑、他に9名が有罪判決を受けた。死刑になった一人安田宗治は台湾籍、軍人ではなく通訳であった。

 「彼はなぜ死刑に処せられたのか?」疑問を持った著者は、遺族の住む台湾、裁判が行なわれたシンガポールとイギリス本国、それに現地の島を訪ねる真相究明の旅に出た。そしてこの書が著わされた。

 日本軍による虐殺事件は、島民をスパイとして摘発することからはじまった。容疑はロケットの打ち上げとランプを使って上空のイギリス軍機に信号を送っていたというのであった。しかし、ロケットを見たものは誰もいなかったし、ランプの明かりが上空4000メートルから見えるとも思えなかった。それでも、次々と自白によりスパイは摘発され、尋問中の死者3名、自殺者1名を出し、81名の銃殺刑が行われた。

 日本軍の被告たちは、手順を踏んだ裁判の結果だったと主張したが、拷問はなかったのか、拷問は命令で行なわれたのか、責任はだれが負うべきか、そもそも「スパイ事件」はあったのかが、シンガポールBC級戦犯裁判で問われた。

 尋問する役目を担わされていた台湾人安田は、島民にスパイであることを自白させるために、一貫して拷問を働いたとされた。そうであるにしても、たかが一介の通訳、死刑になったわずか5人の軍人と同格の処罰とは重すぎはしないだろうか。

 死刑に処せられた6名のなかにもう一人注目すべき人がいた。『きけ わだつみのこえ』(岩波文庫)に手記を載せている戦没学徒、特攻隊としてではなくただ一人戦犯として死に赴いた木村久夫上等兵だった。教育学者五十嵐顕は、『『わだつみのこえ』を聴く』(青木書店)を著わし、この木村に焦点をあてて、刑を前にして必死に死の意味を探ろうとする青年の無念さと苦悩を同情と愛惜の念を込めて描いた。

 しかし、本書によると、シンガポールの裁判で木村は、島民を尋問するにあたっての暴力はなかったと言い張ったという。その論には無理があり、とうてい受け入れられるものではなかった。では、虚偽の証言までも行なった木村への死刑判決は、当然の報いであり、やむをえない処置だったのか。

 シンガポールでのイギリスによる裁判は平穏に行なわれ、戦勝国が敗戦国に復讐するというようなものではなかった。しかし、総責任者であった一人を除いて、上官たちの刑は軽く、死刑に処せられたのはすべて下っ端の軍人・軍属たちであった。なぜ、そうなってしまったのか。そもそも、ありえない「スパイ事件」が現実味をおびて日本軍の間に信じられたのはなぜなのか。

 これらカーニコバル島事件に関わる数々の謎に対して、著者は最後にみずからの見解を述べている。しかし、もちろんそれですべての疑問が氷解したわけではない。

 戦争のため若くして命を落とした木村久夫は、日本軍国主義の被害者というだけではなかった。たとえ、当然裁かれるべき高級軍人が罰を免れるという不公平さはあったにしろ、84名を虐殺したという事実を、学徒であるということで免罪することはできない。しかし、彼が処刑を前にして苦悩したのも事実であり、視点によって異なるこの評価の落差の大きさが、戦争にまつわる加害者と被害者の問題の難しさを指し示していると思う。
『忘れられた戦争責任 カーニコバル島事件と台湾人軍属』
木村宏一郎著
青木書店
本体価格3400円
発行2001年12月



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
First drafted 1.5.2001 Copy right(c)NPO法人福祉広場
このホームページの文章・画像の無断転載は固くお断りします。