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『消費される恋愛論 大正知識人と性』
菅野聡美著
 神近市子が大杉栄を刺した「日蔭茶屋事件」、新劇女優松井須磨子の島村抱月への後追い自殺、伯爵家令嬢で歌人でもあった柳原白蓮が炭坑王の夫に離縁状を送り付けた白蓮事件、あるいは有島武郎の情死事件が新聞紙上を賑わせていた時代、そんな大正期には恋愛論が活発に論じられた。

 その時期、厨川白村の著わした『近代の恋愛観』はベストセラーとなった。ちょうど、倉田百三『愛と認識との出発』や有島武郎『惜しみなく愛は奪う』が出版された頃である。白村は「ラブ・イズ・ベスト」と唱え、恋愛が結婚の第一条件であると主張した。彼は性欲については論じるが恋愛を蔑視する当時の風潮を腹立たしく思っていただけでなく、恋愛そのものに固有の価値を見出していたからである。

 しかし、この恋愛論は男性優位社会の男性たちの間でもてはやされたにすぎなかった。恋愛結婚がベストだといわれても、男女交際の機会が少なく、女性の経済的自立のできていなかった時代、すばらしい恋愛結婚をしようとも結婚後には男性への隷属が避けられない時代であったからだ。恋愛論議は、因習や様々の束縛を打破して、恋愛を可能とする社会の構築へは向かわずに、「正しい恋愛」は多大の努力と義務を要するものとなり、個人を解放するどころか新たな抑圧をもたらすこととなった。帆足理一郎は、理想の結婚を社会で実現するために、内縁関係の処罰や離婚の制限を説くまでになっていった。

 また、恋愛感情は長続きしないという難題も横たわっていた。結婚後の関係は、閉ざされた二人の世界から多くの隣人たちの世界への愛の拡大であり恋愛の進化したものだと、その難題に一応の理論づけをおこなったけれど、「結婚は恋愛の墓場である」という考えを払拭できるものにはならなかった。すでに、明治時代の北村透谷は、「恋愛は人世の秘鑰(ひやく)なり」と後世に残る名言を吐かせた女性との結婚にたどり着けはしたものの、「結婚という枯れた恋愛」の果てに自殺していた。

 大正期の恋愛論は、社会への反逆には向かわず、社会秩序の枠から踏み出ることができなかった。恋愛論は、恋愛結婚というものを意識の上で追いかけていたにすぎず、女性が隷属せざるを得ない社会システムを変える力にはならなかった。著者は、このことをもって大正期の恋愛論は「消費されてしまった」と表現している。つまり、恋愛の自由とは個人の自立なくしてはありえなかったのだ。

 さて、その後、恋愛論は時代とともに進歩したのかと、私は考える。たしかに、恋愛結婚はあたりまえになり、それが時代に見合ったやり方だと認めるがゆえに「見合い恋愛」などという言葉も生まれた。しかし、今日においても、「三高」とかいう言葉もなくなってはいない。恋愛が大衆化した現代は、恋愛という言葉の意味が軽くなり価値が低下したと私も思う。恋愛・結婚・セックスの三位一体を信じる者は減少し、家事の分担により男女平等の実現が近づいているようにも見えるが、依然として厳然とした男女差別がある中で、「夢と生きがい」以外に恋愛の存立は難しい時代になっているともいえる。

 本著は力作である。著者は琉球大助教授、書き下ろしの単行本としてははじめての著作らしい。政治思想史から大正文化、ジェンダーさらに沖縄問題に関心が及んでいるらしいこの若手研究者の今後が楽しみだ。
『消費される恋愛論 大正知識人と性』
菅野聡美著
青弓社
本体価格1600円
発行2001年8月



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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