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戦中、ナチス・ドイツと同盟関係にあった日本のドイツ文学者たちが、戦前戦後を通してどのような態度をとったかを追究した書である。著者は東京大学大学院でドイツ文学を学んだ経歴を持ち、しかも女性という立場から、同業者であり男性である先人たちへの批判の目は鋭い。
東大文学部助手であった芳賀檀(まゆみ)は、戦時下のある夜、同じ研究者の集まりで酔った勢いで乱闘事件を起こした。「(木村謹治教授が)教授にしてやるといったのに約束を守らなかった」というのが理由であった。旧制高校生たちの消極的戦時体制批判の書として熱心に読まれたリルケの翻訳をしたことで、ナチス寄りであった木村教授に嫌われたからというわけではなかった。学閥と詐欺の「文学部」に対する「反文学部」の闘いだと構図づけた芳賀檀だが、その後、日本浪漫派として活躍し戦争協力とナチス賛美に終始する。
ヘルマン・ヘッセの翻訳で既に名高かった高橋健二も、ナチス文学を盛んに日本に紹介した。やがて、成り手がいなくなった最後の大政翼賛会文化部長に就く。誰かがやらなくてはならない役目を、推されるのならば自分がやることで、少しでも体制内部から抵抗できればと考えたからだと、当人は語る。こうして、負けいくさとわかっていた侵略戦争へ多くの人を動員することに荷担した。その彼は、戦後の1977年には日本ペンクラブ会長に就任する。
リルケを愛しつつ戦争協力に勤しむ芳賀檀、ヘッセを慕いつつヒトラーを賛美する高橋健二、彼等は決してナチスの信奉者ではなく優秀なドイツ語学者だった。文学を愛するゆえ、親の反対を押しきって、東京帝大法学部卒などという立身出世の道を拒んだ人たちでもあった。そうした者たちが何故、一見無節操ともみえる道をたどったのか。
著者は、思想・信条などという高尚な問題ではないという。当時、旧制高校の中では、「教養主義」がもてはやされていた。「教養主義」文学とみなされたリルケやヘッセの作品は既存の教育への批判を含んでいたのだが、受け取ったのは、将来エリートが約束された旧制高校生とともに、「文学部」に反感を持つ二流意識にさいなまれたドイツ語学者たちであり、現状からの逃避ということにしか意味付けすることができなかった。もちろん、その逃避という思想さえも貫徹することができなかったのだが・・。彼等にとって一貫して大切なのは、紹介の対象がなにであるかではなく、社会の要請に応える役回りを引き受けることであり、それは東京帝大「文学部」に対する誇り高き抵抗をあらわしているのだという。
つまり、著者は、これらの平凡なドイツ文学者たちの能天気さを分析する鍵は、東大、文学部、ドイツ文学、二流意識、旧制高校、男性、「教養主義」にあるとする。しかし私は、この分析にまだ物足りなさを感じている。この能天気さをもたらした一貫した思想のなさ、いや、思想があるというならばその誤った思想の由来と土壌をこそより究明したい気に駆られる。二流文学者と指弾されても彼等はやはり当時において知識人であったはずだからだ。ともかく、本書の追究は皮肉に富んでいて辛辣で、知識人といわれる人たちの戦争をはさんでの思想の軌跡を検討する貴重な材料となりうる書である。
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『文学部をめぐる病い』
高田里恵子著
松籟社
本体価格2300円
発行2001年6月
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筆者紹介 |
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若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。 |
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