若田泰の本棚
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『数学嫌いな人のための数学』
小室直樹 著
 本書は数学の解説書ではない。ほとんど数式はでてこないから数式をみただけで頭が痛くなる人にも気楽に読める。では、著者は何を著わしているのか? 一言で言えば数学の本質についてである。それを説明するのに、論理学のみならず歴史学、比較民族学、宗教・倫理学、法律学と経済学が登場する。つまり、本書は数学を好きになる入門書の体裁をかりた文明批評の本ともいえる。

 著者は数学の本質は論理学であることを強調して、まず数学の起源から説きはじめる。数学が西洋で発達したのは、古代イスラエル人の神についての考え方によるところが大きかった。唯一絶対的人格神との契約を根本教義とする古代イスラエルの宗教は、「破った」か「破らなかった」かのどちらかの判定が要求された。契約を守らないとノアの洪水で神に皆殺しにされる。神との論争に勝つためには論理が必要とされた。発達した論理学は古代ギリシャにおいて数学と合体したのだという。中国では、諸子百家や「合従連衡(がっしょうれんこう)」策にみられるような相手の心をつかんで説得する術は栄えたが、緻密な論理を重視しなかったゆえに、実用的数学しか発達する余地はなかったというのだ。

 「私は私である」という同一律、「私は人間である」と「私は人間でない」の二つの命題が真であるということはないという矛盾律、「私は人間であり人間でない」というような二つの命題の中間はないという排中律は形式論理学の基本法則であり、これらの矛盾を絶対禁止とする大原則が数学を発展させる原動力となったともいう。法律学もこうして発達した。「彼は無罪であり有罪である」ということはありえない。たしかに「三方一両損」などという論理矛盾が名判決と評価される日本との大きな違いであると私も考える。

 話は全称命題と特称命題にも広がる。「すべてのカラスは黒い」という全称命題を証明することは困難だが、否定するには一羽の黒くないカラスを探し出すという特称命題を示すだけで可能である。帰納法とは特称命題の前提から全称命題の帰結を得る推論である。いくつも見たカラスが黒かったから「多分すべてのカラスは黒いだろう」ということは言えても、「すべてのカラスは黒い」という結論は正しくないかもしれない。すなわち帰納法がもたらす結論は正しいとは限らない。しかし、科学は、この「正しいかもしれない」ことを「正しいこと」にすりかえる帰納法によって発達してきたという。このすり替えを認めるのが常識人で、カルト教団やインチキ占いはこの帰納法を認めない。彼等を論理的に説得するのが難しいのは帰納法の限界を示しているのだろう。

 マルクスの偉大さは「資本主義経済のもとでは必ず失業者が生まれる」ことを証明したことにある。その対偶である「失業者のいない社会は資本主義経済ではない」は正しい。マルクスはつまり「資本主義」をなくすることは失業者をなくするための必要条件であるといったのであり、「資本主義をなくせば失業者はいなくなる」ということではなかった。ソ連の「社会主義」の失敗は、この論理を理解しなかったからであると著者はいう。

 話はまだまだ続くが、著者の専門らしい経済学の話は、いまひとつわたしのような門外漢には理解しがたい点がある。批判的に論じられているマルクス経済学もそんなに捨てたものでもなかろうとも思う。経済学の項に関しては要注意である。

 数学的論理思考をさまざまな問題に当てはめて論じるやり方は非常に歯切れがよくて面白く、読んでいてすっかり論理的思考が身についてきたような気がしてくる。つまり、この本の魅力は、数式を使わずに数学の奥義が知れることのみならず、「思考する」上での論理ということについて整理し直すヒントを与えてくれることだろう。
『数学嫌いな人のための数学』
小室直樹著
東洋経済新報社
本体価格1600円
発行2001年10月



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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