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「犬になれなかった」とは、権力に尻尾を振る走狗になることも、尻尾を巻いて逃げる負け犬になることも拒否したという意味である。事実、著者は36年間にわたる裁判官としての生活において、一貫してみずからの良心を保ちつづけた。
その間かかわった主な事件の一つが和歌山の妙寺簡裁での戸別訪問事件であった。戸別訪問禁止は公職選挙法138条1項で規定されており、その違反には禁固または罰金の刑事罰が課せられることが定められている。そうした法律が言論の自由を保障した憲法に違反するかどうかがいく度も争われてきたが、最高裁は一貫して合憲の立場をとってきた。最高裁判決の前例が著者の考えと異なったとき、一判事としてどのような判断をすべきなのか。著者は熟慮の末、敢然として戸別訪問禁止は憲法違反であり無効であるとの判決を示した。1968年のことである。しかしこの判決は、大阪高裁においてすぐにくつがえされる。
青年法律家協会が保守的法曹人からやり玉に挙げられ攻撃されはじめたのは1969年のことであった。1971年青法協会員であった宮本判事補が再任を拒否される事件で頂点に達した。「来年は安倍の番だ」と巷ではささやかれていたし、実際、最高裁判事から「君、裁判官をやめたまえ」と直接いわれたこともあった。本書はこの項にさしかかると、穏やかだった文章が俄然熱を帯びてくる。繰り返される執拗な脱会への誘惑と外的な圧力を前に「家族のため」あるいは「気持ちは変わらないから」といって会を去っていったものも多かった。しかし、著者は、最後まで節を曲げることを拒否しつづけた。著者は、この弾圧を評して、ハリウッドに吹き荒れたマッカーシー旋風になぞらえている。(その「映画人の赤狩り」の経緯はロバート・デ・ニーロ主演「真実の瞬間」として映画化された。)
そして再任拒否は免れたが最高裁に逆らった裁判官はその後どうなったか。司法界においての官僚統制は、@任地上の差別、A給料の差別、B部総括裁判長(合議体の裁判長)からはずすことによって行われている。著者は、横浜家裁からはじまって本庁ではない支部の家裁ばかりにまわされた。号俸順は常に同年の十数年後を追った。「民事裁判」よりも「刑事裁判」をやりたい、高裁から裁判をみる機会も持ちたいといった希望は遂にかなえられなかった。
このような裁判官の自由と独立を侵害する統制支配は断じて許されるものではない。本来の民主主義国家にふさわしい国民に開かれた裁判所にしていくことは早急の課題である。それにしても、反動化のいわれる司法界で、著者のような裁判官の存在したことは、私たちに限りない希望を持たせてくれる。存在が意識を規定する。しかし、ある存在下でも確かな判断力と勇気をもって存在そのものを内部から変革していく自覚的な力も必要なのだ。信念を貫くことを第一義においたさわやかな生き方、立場は違っても人それぞれ、著者のような生き方こそを手本としなければならない、本書を読みながらそんなことを考えた。 |
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『犬になれなかった裁判官』
安倍晴彦著
NHK出版
本体価格1500円
発行2001年5月
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筆者紹介 |
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若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。 |
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