若田泰の本棚
次のページへ進む
『わすれられた命の詩』
谺雄二 著
 2001年の国内最大のニュースともいえるあの「らい予防法」違憲判決は、多くの国民が人権について、マイノリティの問題について、あるいは「知らなかった」ということについて、みずからを深く振り返る機会となった。すでにこのコーナーでも関連書はいくつも取り上げられており、今さらあらためて「書評」で紹介するべきものではないのかもしれない。しかし、あえて本書を人生の進路に悩む若い人への哲学の書としてとくに中高校生に勧めたい。

 本書は、後に「ハンセン病違憲国家賠償請求訴訟」の原告団団長代理を務めることになった著者が記した、みずからの少年時代の回想記である。「らい予防法」廃止を求めて闘っていた1987年に著わされた本書は、病苦と差別に苦しんだ一人の人間の半生記というだけのものではない。たまたま、ハンセン病という不条理につきまとわれた少年が、何を考えながらどう成長したかの物語である。不条理と思われたものが宿命ではなく、実は人間がもたらしたものであることを突止めていく過程を記したものでもある。

 10番目の子供であった著者を出産した直後に母が発病、著者も6歳で発病して、多摩全生園に母の後を追って入所する。数年遅れて兄も発病、日本の敗戦と時を同じくして母が死亡、兄も19歳ですぐその後を追う。残された父親や兄姉たちもそれぞれの苦労を背負って生きていった。戦争がそれぞれの不幸にさらに追い討ちをかけていた。

 母が病気になったのは、自分を生むとき難産だったからだと思い込み、「病気をうつしてごめんよ」と泣きながら繰り返す母が哀れでならなかった6歳の少年の著者。一方、兄は、「あの人のわがままで、おれは病気をうつされたのだ」と療養所を抜け出した母を攻撃する。その兄は傷が化膿して足を切断、ますます人付き合いが悪くなり哲学と文学の世界に閉じこもる。そんな兄に反発したり影響をうけたりしながら、ついに兄からの恋の悩みの告白に対して16歳の著者は立ち直れない言葉を浴びせてしまうのだ。兄の死後、自分の発した言葉の誤りを知ったのは、ハンセン病を取り巻く問題の本質を理解したときでもあった。

 関連する他の書とも読み比べてみると、味わいは一層深くなる。たとえば、父兄姉と次々に肉親が去り最後の姉が死亡したとき、既に結婚していた姪が、はじめて叔父の存在を知ったと泣きながら著者に電話をかけてきたという。実はその姪は4歳のときに療養所を訪ねてきており、その直後、17歳の著者は、唯一の姪の将来を考え、療養所に近づかせないように姉に告げていたのだった。その姪の20歳の誕生日を心中ひそかに祝う感動的な詩「サチ子」は『ライは長い旅だから』(皓星社ブックレット、2001.04)に掲載されている。
『わすれられた命の詩』
谺雄二著
ポプラ社
本体価格1200円
発行1997年



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
First drafted 1.5.2001 Copy right(c)NPO法人福祉広場
このホームページの文章・画像の無断転載は固くお断りします。
Site created by HAL PROMOTIN INC