若田泰の本棚
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『地面の底がぬけたんです』
藤本とし著
 「強制隔離政策」が違憲であることが明確となった今の視点から、ハンセン病を患う人が記した作品を読むと、味わいがまた違う。

著者は1901年(明治34年)生まれ、縁談のととのった18歳のときハンセン病を発病、以後50年に及ぶ療養所生活を送った。自殺未遂を数回、その後全盲となり両手指・足趾と身体の大半の知覚をも失った。その間1973年 ・72歳までの随筆を集めたものが本書である。初版は1974年だが、今日まで再版を重ねている。

珠玉の二編を紹介しよう。
「光芒」は30年ぶりに故郷と連絡をとったときの顛末(てんまつ)を記したものである。障害年金を申請するために戸籍抄本が必要となり、意を決して手紙をだしたところ、兄夫婦は既に死亡しており、見も知らぬ甥から返事が届いた。「自分に叔母がいることをはじめて知ってとても嬉しい。どうしていらっしゃるのか是非とも一度お目にかかりたい」という内容であった。筆者は返事にこう書いた。「私も会いたい気持ちで一杯です。しかし近日中にここから隣町へ移ることになっておりますので少しお待ちになって下さい。引越しがすみしだいくわしい住所をお知らせします。ではお体を大切に」。そして連絡は再び途絶えた。

もう一つの「痛み」では、七回忌のおっさんを回顧する。筆者がまだ晴眼であったころ、数人の同室者たちと珍しくジャガイモの芽を収穫できた。戦後の食糧難の頃である。海水で煮た「ごちそう」を前にして食べたいのは山々なれど、馬鈴薯の芽には毒があると聞かされていたから、誰も最初に手をつけない。そこで全盲のおっさんに先に食べさせたのである。何も知らないおっさんはおいしそうに食べ、大事にいたらなかった。しかし、筆者の心はなぐさまず、悔いは今に至るまで残っているという話である。

全編に共通するのは、筆者の澄切った心である。「この病気でなかったら、もちろん今のあたしはありませんし、全てのことがそうですが、いいことがいいこととしてうつらなかったでしょうね。」「闇の中に光を見出すなんていいますけど、光なんてものは、どこかにあるもんじゃありませんねえ。・・(中略)・・光ってるものをさがすんじゃない、自分が光になろうとすることなんです」。インタビューでの語り口に、たどり着いた境地の深遠さが伝わってくる。

「違憲訴訟」などということを想像だにせず、澄切った心のまま世を去った同じような人たちが何万人もいたことを思うとき、私たちはそこにいいえぬ抗議の声をも聞きとることができるのである。
『地面の底がぬけたんです』
藤本とし著
思想の科学社
定価2000円+税
1999年発行




 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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