若田泰の本棚
次のページへ進む
『私も戦争に行った』
山内 久著
 戦争体験を語る人が少なくなった。一昔前までは、子供向けの本に限らず大人向けの小説や映画にも、戦争体験を基にしたものが多く見られたように思う。しかし、その多くは戦争被害者としての体験に終始していた。 「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」、「強制連行事件」、「七三一部隊」などの問題が、近隣諸外国から提起され、アジア諸国への加害者としての責任が多くの国民に意識されるようになったのは、最近のことであるかもしれない。

 この戦争体験記は、19歳の著者が戦争に駆り出され、何を考え何をしたかを振り返りながら淡々と書き綴ったものである。著者は、「若者たち」「私が棄てた女」「ああ野麦峠・新緑篇」「エイジアン・ブルー」に代表される社会的映画の力作を書いたシナリオ作家で、現在76歳になる。

 当時の彼は戦争に反対だったわけではない。間違った侵略戦争であるなどということは考えもしなかったし、国に身をささげることは当然のことと思っていた。しかし、命は惜しかったし、兵隊生活の辛さを免れるための工夫はあれこれ凝らした。たとえば、少しドジのゆえにまわされた無線通信の特業教育でトップの成績を上げて、悲惨な扱いから逃れようと必死で努力するような、そんな普通の青年だった。

 兵隊内部でのリンチも凄惨だが、なんといっても最も緊張するのは初年兵の訓練のために中国兵捕虜を刺し殺す場面である。教育隊長の少尉が見本を示した後、「さあ、今度はおまえたちの番だ。一番鑓をつけるのは誰だ」という。立ちすくむ兵士たちの中に著者もいた。そしてどうなったか?

 著者は、天皇の軍隊にとられて非合理なしうちをうけた被害者であった。しかし、中国国民に対しては加害者でもあった。そのことに関して声高に叫んでいるわけではないが、シナリオ作家としての戦後の仕事ぶりを見ると、戦争体験をどう総括し、何を戦後に生きる基準としたかは、自ずからわかる。この本を著わしたのも、若い人たちに、戦争という事実を実感してほしいからにほかならない。気張らない人柄から語られる体験談からくみとれる教訓はあまりに多い。
『私も戦争に行った』
山内 久著
岩波ジュニア新書
2000年6月発行
本体700円




 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
First drafted 1.5.2001 Copy right(c)NPO法人福祉広場
このホームページの文章・画像の無断転載は固くお断りします。
Site created by HAL PROMOTION INC