若田泰の本棚
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『歴史/修正主義』
高橋哲哉著
 自分では誤りが自明だと思われるのに、人をうまく説得できないでイライラ感をもつことがしばしばある。このたび教科書検定を合格したことで国内外から危惧されている「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史観がまさにそれである。

「自由主義史観」を唱える人たちの描く「歴史」がいかに事実と異なっており、自分に都合のよい題材だけをとりあげて恣意的に歴史を偽造しているかについて理解しても、私はまだ何か胸のつかえの下りないものを感じていた。そんな時に手にしたこの本は、歴史的事実から迫る批判書とは異なって、哲学的見地から緻密な批判を加えたものであるだけに、新鮮であり明快である。

 まず、彼らの誤りの第一には、ある国家や民族がいつか犯罪的行為を行なったならば、その国家や民族の成員は子々孫々に至るまで罪人とされるという「本質主義的国民観、民族観」の問題があると指摘する。これは、個々の人権を認めないかなり古めかしい考え方である。また、彼らは「国民とは何ら実体を伴わない「想像の共同体」である」とする「構成主義的」な国民観にたっているとも指摘する。すなわち、彼らは「歴史」とは一定の観点から過去を再構成した「物語」にほかならず、それを「物語る」人々の言語行為から独立に「歴史的事実」なるものが実在するわけはないという。その考え方に立てば、語る人によりさまざまの歴史が存在するのであり、歴史に「政治的」「倫理的」判断は不要であるということになる。これも自己矛盾をもった偏った歴史観であり、今の価値基準にあわせて歴史を見るのでなければ将来に役立たせる歴史が学べないだろうことは明らかなはずである。

 著者は彼らの主張を批判する中で、亀井勝一郎がみずからの戦争責任を反省するにあたって自分が犠牲者であったということで雲散霧消させたこと、また、柳田国男の「常民」思想が「国家と天皇と民衆を本質的なところで癒着させている」という批判にも及ぶ。さらに、「物語りえぬものについて沈黙する」のではなく、「物語りえぬことを物語る」ことこそが、トラウマの癒しに必要なのだと話はどんどん発展していき魅力的である。

『歴史/修正主義』
高橋哲哉著
岩波書店
2001年1月発行
本体1,200円



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
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