あんな本、こんな本
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『人生に絶望はない ハンセン病100年のたたかい』
平沢保治 著
 本書はハンセン病に罹り、14才で多摩全生園に入所をせざるをえなかった著者、平沢氏の50数年の苦闘の歴史と、その中から、著者が見い出した光についての記述である。

 ハンセン病は、成人には感染性のきわめて低い病気であるにも関わらず、有効な治療の方法がわからないとの理由で、強力な伝染病という偏見が社会に広がり、ハンセン病は国辱であるとされ、国家によって隔離療養所が作られていった。今から約100年前、1906年のことである。

 1941年、平沢氏が入所した多摩全生園の少年寮は、15畳に11人の雑居部屋であり、職員である監督、見張り人からオイコラ式に呼び捨てにされ、反抗すれば、検束される生活であった。外出は許されず、「患者の自給自足」の名のもとに強制労働が日課であった。金は持たされず、園内通用券が使用されていた。結婚しても、優生保護法に基づき、断種を強制された。座敷豚とも呼ばれたのである。その法的根拠は、1931年に制定された「国立療養所患者懲戒検束規定」であった。その後、1948年、プロミンという薬剤が国内で開発され、ハンセン病が不治の病でなくなった時点でも、逆コース的に1953年に頑迷な専門家の意見で、「らい予防法」が制定されてしまうのである。引き続き患者の拘束は続き、1996年になって始めて「らい予防法」は廃止されたのである。平沢氏が入所して、実に55年目である。しかし、平沢氏は実名を公表したものの、現在も親戚のいる故郷に帰れずにいる。

 平沢氏が、患者の諸権利を擁護し、らい予防法の廃止のために奮闘されていた1960年の時代、筆者は学生であったが、安保の問題や社会のあり方には関心があったものの、ハンセン病患者の状況や問題について、知らないことが殆どであったこと、しかも、つい近年になって、新聞紙上の報道等で、関係資料を読み、この問題についての理解を深めたことを申し訳なく、恥ずかしく思った。

 本書を読んで、ハンセン病患者の方の怒りの万分の一でも、自分自身に引き寄せて理解する努力をさらにする必要があると思った。もし、現在の自分の持っている体の弱点や持病が、軽い伝染性のものであり、完全な治療法がまだ開発されておらず、それぞれの「病気予防法」という法律があり、その病にかかったら、否応なく隔離、軟禁され、また、治療法が見つかった後でも、著者と同じ扱いを受けるとしたら、著者のように胸をはって戦えるであろうか。自分自身の人生が問われている気持ちがする一冊である。

 巻末に資料として「国立療養所患者懲戒検束規定」「らい予防法」「らい予防法廃止法」「エイズ予防法」が添付されている。逐条的に読んでみると、「エイズ予防法」は「らい予防法」のそのままの引き写しである。本書の「川田龍平氏との対談」で、特定の病気に特定の法律を作成することは、偏見と差別を助長することになり、各種の法律を活用すれば、十分事足りると平沢氏は主張している。

 「エイズ予防法」が現在施行されているということは、ハンセン病問題の真の反省を国家はしていないという重要な指摘だと考えられる。
『人生に絶望はない ハンセン病100年のたたかい』
平沢保治著
かもがわ出版
本体価格1600円
1997年発行



 筆者紹介
瀧本正史
京都市内の宝ヶ池近くに居を構える自由人。長年のサラリーマン生活から解き放たれるや、持ち前の遊び心が溢れ出て、写真、渓流釣り、そして読書と興味は広がる。本誌に写真を多く寄せている。つれづれなるままの読書の記録。
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