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本書は、京都府乙訓郡の地域に深く根を張り、青空にむかって大きく枝を張り、人々に希望を与え、心を開き、信頼を得てきた一人の医師と地域の人々の物語である。
ある巨木=蔡東隆(さい とうりゅう)氏は、「西京都医誠会」を1960年に開設し、これはその後、「乙訓医療生活協同組合」へと発展し、現在4400名近くの組合員を擁している。
蔡氏は昨年の5月、医療生協15周年記念式典の準備中に死去された。衝撃が周辺の人々の間に走った。蔡氏の死去は信じられない出来事であった。人々の心の中の蔡東隆氏は永遠、不滅の存在といってもよかったのである。読者はその理由を、著者が取材した患者一人一人の口を通じて語られる事実の中で、改めて確認することができる。
蔡氏は自分と同じ血液型の患者に、自分の血液を輸血して、抜群の技術で手術をおこなった。別の患者の家が火事になると、3人の子どもと母親を自宅に住まわせて、医療活動をおこない、又、別の患者が亡くなると遺体の処置を自ら行い、患者の魂と家族の心をやさしくねぎらった。診療所の施設では不十分な場合は、周辺の大病院に入院を勧めたが、大病院に入院した患者には、必ず蔡氏が直接見舞いに出かけ、看護婦詰め所でカルテを見て、病状を把握し、患者に語りかけ、やさしくはげました。患者の親子3代にわたる絶対の信頼関係はそのようにして築かれていく。「蔡先生に診てもらい話しをするだけで、病気の半分はなおる」と人は言う。人の肌に触れて診察し、目を見て真摯に話を聞いてくれる医師が少なくなっている現状を省みるとき、誇張ではないと納得できる。
在日中国人としての、波乱に富んだ蔡氏の生い立ち、軋轢をはねのけて活動した青春の日々、生涯のよき理解者で伴侶である妻の絹さんの様子なども活写されている。
著者は本書を書くにあたって、「後光がさすような先生を『人間レベル』に引き下ろしたい」と目論んだという。この点は、著者自身が認めているように、かならずしも成功していない。蔡氏を東隆と呼ぶべきか、先生と呼ぶべきか記述に迷いが見える。この迷いは、蔡東隆氏の死去に対する、著者自身の、現在も残る哀しみと戸惑いを顕わしており、はからずも、蔡氏の存在の大きさを示すものとなっている。 |
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『ある巨木 蔡東隆ものがたり』
草川八重子著
かもがわ出版
2001年5月発行
定価1429円+税
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筆者紹介 |
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瀧本正史
京都市内の宝ヶ池近くに居を構える自由人。長年のサラリーマン生活から解き放たれるや、持ち前の遊び心が溢れ出て、写真、渓流釣り、そして読書と興味は広がる。本誌に写真を多く寄せている。つれづれなるままの読書の記録。
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