
| 2012/3/18 | [横浜市旭区の住宅で昨年12月、病死した2人暮らしの母子が見つかった問題で、区内の障害者福祉施設に通っていた息子(44)が昨夏の父親の死後、通所しなくなっていたことが旭区への取材で分かった。区側は通所を続けるよう勧めたが、母親(77)は応じず、地域からの孤立を深めていったとみられる。区の担当者は「職員がもっと頻繁に訪問できていればよかった」と話している。(毎日新聞)] 新聞やネットのニュースで前述の内容を知った。餓死事件が頻発し、孤独死があとを絶たない。この国はますます救いようのない、弱いものが生きていけない社会に突き進んでいる。 地震や津波や原発事故から1年がたち、日本中の人があたり前の生活や人と人のつながりの大切さをあらためて考えた一年間であったはず。 政治にに責任を持っている人も、自治体に責任を持っている人も、会社に責任を持っている人も、家族に責任を持っている人も、一人では何もできないことを知っているはず。 でも、弱い立場の人には、「自分でがんばれ」と追い詰めてはいないだろうか。先日、「子どもの貧困を考えるいのち・そだち・まなびネットワークの会議で餓死について話し合った。 「自分でがんばれ」は辛い。「がんばっても、どうにも解決できないことことを抱えて、がんばっている」 精神的なことだけではなく、たとえば消費税は弱い人にもっとがんばれと追い詰める、政権が追い詰める。この税は弱い人に重くのしかかる。 障害のある人たちがあたり前に、その人らしく生きる権利はある、誰もが認めているはず。なのに、もっとも弱いところからその権利をもぎ取っていく。 京都市も、来年度予算から児童デイサービスの補助金をこれまでの半額に減らしてきた。これから他の障害者施設も減らす方向とか。 なぜ、一番運営基盤の弱い、日払いで細々と、とっても大事な療育を担っている施設から減らしていくのか。弱いところから狙っていくのは権力のあたり前なのかも。 餓死も孤独死も新しい犠牲者を出さない、政治や自治体を守っている人たちの決意はないのか、怒りで胸が張り裂けそうになる、そして悲しい。(いけぞえもと) |