この世に存在するということは、意志とか夢というものを抱えながら在るということ。
在るということは、覚醒している身体の器官のすべてを使いながら、自分のこころの奥底に住み続けているもやもやとしたものに厳とした形を与えて、自分以外の存在へ、それは世界などと呼んでもいいものに向かってメッセージを贈り続けること。
いや、そんなに大げさに言わなかったとしても、そう、僕の物語それは例えば純子に向けられたギリギリの存在証明だったかもしれないし、未だ見ぬ誰かに向け自分の生きている場所と誰かからの僕のいる方角を表明したものであったかも知れなかった。
僕が格闘しながらも、何とかここで確固として生きている事をわかって欲しかったのだと思う。
そう、それは(助けて欲しい)という差し迫った主張をあたり構わず発し続けていた信号のようなものであったかもしれないような気がしている。
どちらにしても、僕は精神疾患で前が見えず周囲の灯りさえ感得する力もなく、もうクタクタになりながら、自分の持っていた個性のようなものを一切なくしてしまう恐怖感に激しく苛まれるとともに、幸せになる可能性を完全に逸してしまったのではという猜疑心に身をグラグラに崩されながらも、義務づけられた学校のように何度か精神病院を出入りしても、依然として生きて在るということがひっとしたら幸せだったのかもしれない……
幸せ、それはきっと千差万別で色々な形があるのかも知れない。
転げ回り、のたうち回っていたとしても、そこに決して枯れることなく在り続けようとする常緑樹のように僕は確かにいたのだから。どうつくろっても、いかに装飾しようともそれが僕自身であり、僕の隠しようのないリアルな姿であった。
ある時、純子が僕に言ったことがある。僕は、精神疾患という病気を誰からも侵されない絶対の逃げ場、逃避場所して、そこに入り込み、他人を拒絶していると。
僕自身と誰かとの間に、当然それは純子も含んでの話であったが、僕が傷つけられないように厚い壁を作っていると。誰かとの間に温かく柔らかい関係が、相互に育って行くのを拒絶していると。
私は、確かにユウちゃんの苦しさやどうしようもない孤独感を自分の肌で鋭く感じることは出来ないけど、みんなや僕の外―それはさっき言ったように世界、又は僕をめぐる環境と呼んでいいのだが―の激しさや厳しさから身を防御しているだけで、何か新しい世界に向かい前へ進もうとしていない弱虫だと強い調子で言っていた。
精神病院から退院して僕が元の場所に戻ったとき、いや、変わらない元の場所など残っていなかったが、殆どの人は僕に対する接し方を探しきれなかったみたいで、当たり障りのない慰めの言葉―でも、そんな言葉の一つひとつが、実際はとんでもなく僕を苦しめたものであったが―を言って場を取り繕っていただけであった。
僕はみんなと比較して特に感受性が鋭いわけでもなんでもなかったが、退院後は何故か人のこころの内などが磨き込まれたガラスのように透けて見えたものだ。
彼らは、僕を疎んじていた。あるいは、自分たちとは違う異人のように見つめていた。
そんな中で、純子の何もこころを包み隠さないストレートなもの言い、感じたことを何とかして僕に伝えようとする態度に、僕は癒されざるを得なかった。
純子は僕が精神障害者であることを気遣いつつも、なにが僕を傷つけるのか、僕のこころをギリギリと締めつけるものは何かを知っていて、表面的な慰めなど一切排した上で僕の援助のあり方を自分なりに探し当ているようであった。そして、その純子の探し出した援助は僕を本当に救ってくれた。彼女は僕を慰めようとしていたのではない。自分をすべてさらけ出して、僕にぶつかってきていた。その存在感が僕には何故か心地よかった。
援助などと簡単に言ってしまったが、精神障害者をサポートすることはそんなに簡単なことではないような気がする。
精神がいったんは狂わされてしまったのは、僕や彼らが当面した苦境の壁を越えられなかったためなのでは。あるいは、当面した問題を理性的に処理出来ず、「狂う」という方法でしか突破出来なかったために生じたある意味では精神の歪み、亀裂の発露、哀しい自己主張ではなかったか?
人は解決出来得ない問題に出会った場合、オレにはこの問題は解けないという認識のもと、その問題を横に追いやるものではないか。
自分の力量を越えたものであるから、その問題をある場所に置いたまま別のところへと出発して行けるものではないであろうか。
なんのわだかりもなく問題と格闘することを放棄してなおも、後ろめたさを感じることなく精神を安寧に保つことが出来るものではないか。
ふつう、自分に手に負える問題だけを問題とするのではないか。
でも、僕はそれが出来なかった。
もう少し、だらしない僕の物語を語っていくことにしよう。それは、田島祐一という人間の存在証明を僕が生きている今のこの瞬間にハッキリと刻み込んでおきたいという抑えがたい欲求のためである。
そうしなければ、もう僕はどこへも行けないような気がしているから……
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