ルナーティックな散歩道第2部
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☆10/01更新☆

第80回

前回、専門医に発達障害の診断を乞うために、ある精神科クリニックを訪問したと書いた。
第1回目の結構長めの問診が開始された。

 僕の過去の生活や行動パターンを問うものであった。

 医師も少しの予断を許さず問診を重ねているとの印象を持った。
 少し古い話なので記憶はやや薄れているが確か30分超の問診を2回されたとの記憶が残っている(2019年の1月か2月のこと)。

 そして3回目の診察の時に「MSPA検査」(「MSPA事前アンケート」「Margaret Deweyのテスト」)をした。
 いずれも自分で調べたが「発達障害」を調査・判定するテストであった。
要は「アスペルガー症候群」「広汎性発達障害」を判定するのに用いるテストであった。
 正解はない。
設問に答えて行けばいいだけだった。
 やったけど、本当に学校で行われる試験同様に、いやそれ以上に力を要するものであった。
 回答の半分も行かない内に、自分でわかった(あぁ 僕って発達障害がある、もしくはその傾向が認められると判定される、との自己判断)、社会の常識からは一定外れた行動基準を持っているということが。
 独特の価値判断をしていることが、このテストを回答している過程で判明した、いや精神科医が判定したわけではないが、「シロウト」(とっても当事者性があるが僕には)だとしても経験的に認知されている「社会コード」とは、どこかずれていると回答していくプロセスで自然にわからされた。

 第3回目の問診で、このテストを提出して専門医に聞いてみた

「先生、あとどれくらいの検査があり、費用はあとどれくらいかかるんですか?」と。
専門精神科医は「次は臨床心理士の問診を受けてもらい・・・・・・ざっと1万5千円ぐらいかな?」と

 即座に判断した(あー 1万5千円かけて『発達障害』のお墨付きをもらったって一体なんになる。僕の『発達障害』はなくなりはしないし、そこまでも金をかける必要なんてない、との判断がすぐに出来た)、やめようと。

 それから、いくつかの文献を漁り、「発達障害」のことを調べた。
どうも、間違いがなさそうだと判断した。
 少なからずの人が僕を「けなしたり」「悪く言ったり」「付き合いを突然止めたり」したが、それは今から思えば、僕の「発達障害」的な言動が許せなかったのだと見当がついた・・・まぁ、仕方ないのでは?
 いまも尚、僕を許容してくれている人と生きて行くしかない(以上、この項終わり)

 筆者紹介
細田一憲
生協に勤める。35歳の時、「肉体的、精神的な極度の過労による精神的錯乱状態が認められるとともに、強い鬱的状況にもあって」との診断を受ける。アフター5に出会う人との付き合いを大切にし、大学などでも自らの体験をもとに特別講義を行っている。
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