若田泰の本棚
次のページへ進む
前のページへ戻る
『人間の良心 元憲兵土屋芳雄の悔悟』
花烏賊康繁 編著
 15年戦争下、帝国軍人たちは中国でどのような残虐行為を働いたのか、戦後もほとんどの人が口をつぐむ中で、果敢に悔悟を語り綴った人がいる。

 土屋芳雄さんは、1911(明治44)年山形県の農村の生まれ。「虫を殺しただけでも罰があたる」と思っていた農夫が、貧乏から抜け出るために憲兵を志願する。中国東北部チチハル憲兵隊で、敗戦までの12年間に、1917人を逮捕し拷問を加え、328人の中国人を殺害した。敗戦後は5年間のシベリア抑留から、中国に送還され、撫順の日本人戦犯管理所で教育を受けた。そこで、はじめてみずからの罪業に気づく。帰国後は、罪を語り伝えることに一生をかけた。2001年10月30日没、享年91歳。

 戦争犯罪の事実を語ることに対しては数々の妨害があった。「憲兵隊同期会一同」からの公開質問状も送られてきた。「祖国に反逆する土屋は共産主義に洗脳されている。本当に贖罪の気持ちがあるのならばいさぎよく腹を切れ」というものであった。土屋さんは、なんの反省もなく戦中とおなじ考えを持ちつづけている輩に時代錯誤もはなはだしいと感じつつ、このような人たちがいるということは、また近いうちに同じ過ちを繰り返すかもしれないという衝動にかられ、語りつづける決意をさらに確固たるものにしたのだった。

 本書では、はじめは先輩憲兵のおこなう水攻め、木刀攻め、焼き火ばし攻めなどの拷問をこわごわ見ていた土屋さんが、その後どのように鬼に変わっていったかが当人の口から生々しく語られている。

 教育関係者を共産党員だとでっち上げた「斉共事件」では45名を処刑、さらに脱獄を企てた90人を銃殺、出獄させたものは密偵として利用した。「田白工作」では120名を検挙し2名を死刑に、「貞星工作」では550名を検挙し20数名を死刑にするなど、悪行のかぎりを尽くした。残虐行為は被疑者の家族にまでも及んだ。

「貞星工作」では、国民党地下工作員である主要人物の居場所が見つけられないため、その妻を拘束し直ちに拷問を加えた。知らないものを答えられるはずがない。老いた母や幼い少女の命乞いの訴えも無視して、妻を死に至らしめた。「張恵民事件」を摘発したのも、鬼憲兵だった土屋さんの手腕だった。ソ連と連絡をとっていた中国共産党員を一斉検挙し、張恵民ら8名を銃殺した。

 1990年、謝罪の旅で、土屋さんは張恵民の四女で中国医科大教授の張秋月さんと対面できた。この経緯は、ドキュメント映像「ある戦犯の謝罪」として山形放送で放映された。「土屋は鳴咽しながら訴える張秋月さんの心に両手を合わせて真向かう。『一度あやまってから死にたいと思ってやってまいりました』という土屋の言葉に、張秋月さんの表情がゆれた。やがて土屋が部屋を立ち去ろうとするとき、張秋月さんが土屋にかけよる。そして、ためらいをふり切り、自分の父親の鮮血でよごれた土屋のその手を、両手でしっかりとにぎりしめた。」と編者は記している。

 編者は、同じ山形県で、児童文学に関わる活動を続けてきた。編者の父も元憲兵、しかし、その父は何を行なったのかを語らぬまま世を去った。編者が、土屋芳雄さんに没入したのは、父の供養でもあり、また、父に代わって戦争の罪責を担うことでもあった。本書は、土屋さんの膨大な手記をまとめた貴重な記録である。

 本書が書店で取り扱われていないときは直接、出版社に連絡されたい。(北の風出版 TEL 0237-47-0099 FAX 0237-48-1778)
人間の良心 元憲兵土屋芳雄の悔悟
『人間の良心 元憲兵土屋芳雄の悔悟』
花烏賊康繁 編著
北の風出版
本体価格 2500円
発行 2002年1月



 筆者紹介
若田 泰
医師。京都民医連中央病院で病理を担当。近畿高等看護専門学校校長も務める。その書評は、関心領域の広さと本を読まなくてもその本の内容がよく分かると評判を取る。医師、医療の社会的責任についての発言も活発。飲めば飲むほど飲めるという酒豪でもある。
ご意見、ご感想をお寄せ下さい。
First drafted 1.5.2001 Copy right(c)NPO法人福祉広場
このホームページの文章・画像の無断転載は固くお断りします。