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2016/8/10 <障害は迷惑じゃない>
 相模原市の障害者入所施設で事件は起こった。犯人は、短時間の間に次々とナイフで刺したと報道されている。想像を超えるような惨状が我々のもとに届けられる。驚くのは、その施設で働いていた元職員だったということ。薬物使用者で入院歴があり、専門家ケアを受けていたということ。障害者を殺すということを内閣総理大臣にまで伝えていたという事実。どこかでこの犯行を止められなかったのだろうか。なぜここまでの事件になってしまったのだろうか。「なぜ?」が頭の中をぐるぐる回る。
 むしろ愕然としたのは事件後のこと。周囲の反応や意見を聞いて、あらためて障害者問題への理解の難しさに直面。「事件は許せない、でも障害の重い人に税金を使うのってどうなのかな」という声に、どこかに「障害者は迷惑だ」の思想が蔓延しているこの社会。
 そういえば、国の障害児者政策も「障害者に生きるな」と言っていた。障害者自立支援法では「水を飲むにも利用料」「トイレに行くにも利用料」、生きることに利用料を払う応益負担が導入された。収入の少ない障害者から利用料を取り、さらに障害の重い人ほど利用料が高くなる仕組みとなり、みんな怒った。大きな運動となり、訴訟も起こして闘った。応益負担の仕組みは残っているが、「金ないモンから金を取る」仕組みではなくなった。
 「障害者は迷惑だ」「障害者にお金をつぎ込むのは無駄だ」というのは簡単だ。しかし、自分が障害者になった時、我が子に障害があると分かったら、高齢になり障害をいっぱい背負ったり、社会のサポートが必要となった時、「障害があってもがんばって生きている姿」を理解してほしくないのだろうか。誰でも社会の役に立ちたいと思っている。しかし、社会が求める役に立つかどうかの狭い範囲で「役に立つ」ではない。障害が重く、そこに存在しているだけでも意味がある存在も、明らかに社会の役に立っている。それは私たちに無限の“ねがい”を知る研究や働きかけの意欲をかきたて、少しでも発達する姿が見えたとき、さらに“ねがい”を喚起し、バージョンアップされる。そして指のかすかな動きで意思を確認し、共に生きる仲間として私たちが認めてもらえる喜びを共有する。そんな営みを長年続けてきて、「同等の権利があると」障害者権利条約が後押ししてくれた。
<障害の重い人を宝に>
 全国障害者問題研究会が50回目の全国大会を京都で開いた。障害の重い人の発達や生きる権利を大切にする研究や実践の先頭に立ってきた団体。障害当事者や家族、関係者、3000人が全国から京都に集まった。一日目の全体会は国際会館、二日目の分科会は龍谷大学に集い、日頃の悩みや実践を交流した。誰もが事件に対しての重い気持ちを引きずり京都に来て、様々な出会いと学びで、全障研の役割が大切だと再認識して持ち場に帰っていった。やはり、「障害は迷惑じゃない」と呼びかけたい。

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